●『The Perks of Being a Wallflower』


◆『ウォールフラワー(The Perks of Being a Wallflower)』試写観覧。
しみじみといい映画。
目新しいことをやってるわけじゃないけれど、あとからじわじわと来るところもあるし。
真っ当な青春映画ってのはそうやって撮らないとあかんよね。
奇を衒ったり、流行りの事象に引っ張られて作ると、あとがもたない。
そういう意味では、これ、『アメグラ』等に連なるエバーグリーンな系譜に入りうるのでは。


音楽が非常にいい感じに使われているので、その点、『あの頃、ペニーレインと』風味もあり。
時代設定は「1991年」('88年から'93年のあいだのどこかかなと思っていたが、'91年らしい。プレスに書いてあった)。舞台はペンシルヴァニア州ピッツバーグだけど、流れてくる曲は'70〜'80年代の、自己言及的というか、内省的というか、軽薄なノリとは遠いUKロック。
ザ・スミスXTCコクトー・ツインズニューオーダーデキシーズミッドナイト・ランナーズetc.
この辺は、'80年代(特に'84年以降)に、ザ・スミスU2以外、あんまり聴くものねーなあと思って過ごした身には非常に頷けるチョイス。


で、流れてる音楽やホームパーティーわんさかみたいな風俗に気を取られると、つい、米国産のほかの青春映画と比較してしまいがちになるんだけれど、俺が連想したのは少女マンガでありました。
くらもちふさこ大島弓子、ちょっと三原順》て感じ。


要は、メインの登場人物3人がそれぞれの作品世界を感じさせるってことであります。
エズラ・ミラー扮する〈パトリック〉は、大島弓子のマンガに出てくる懐の深い年長の男の子(たとえば『アポストロフィS』のメンソール)を彷彿とさせる。
エマ・ワトソン演じる〈サム〉が、くらもちふさこ作品に出てくるクールで音楽の趣味のいい美人ちゃん(『Kiss+πr2』の冬子とか)。
主人公・ローガン・ラーマン〈チャーリー〉が自意識とトラウマに苛まれる三原順ワールドの少年。


やはり人物像にとても魅力があるんだと思う。
あとからじわりと来るっていうのも、「ああ、またあいつらに会いたいぜー!」と思わせるものがあるってことだろう。


それだけ入り込ませてくれる映画。
まあ、年寄りが、年寄りの視点で青春映画を語るほど無粋なこともないからね。
というのも、この作品に対して「すでに主人公たちの母のほうに近いのでそういう視点でしか観れません」的な意見をネットでいくつか拝見したので、けっこう驚いたのである。
これ観てたら、そんな気にならんと思うんだけどなあ。
なにかよほど倫理的だったりする人なんだろうか。


ま、エズラ・ミラーは天才的だし、エマ・ワトソンはウルトラキュート。
このふたりに見とれるだけでも価値あり。


とりあえず四半刻雑感の範にのっとってザクザクと勢いで書きつけたけど、この作品の感想はちゃんとまとめたいなと思う。
“あの曲”が重要なキーとなるってとこも、個人的に小っ恥ずかしいところをぐいぐい突いてくるし。