●生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言

 十月はものすごい勢いで過ぎていった気がする。なんか、ほとんど記憶にないもの。
 局の企画《OT10〜奥田民生ふたり股旅・大阪縦断レポート》の準備と実施で月の前半が費やされたのはなんとなく憶えてる。というか、たぶんそうだったんだろうな、とカレンダーを見て理解した。
 後半は、台風、台風、地震、《MINAMI WHEEL 2004》、イラク人質拘束、広島再訪、人質が遺体にて発見・・・か。

 香田くんよ、なんだか「自分探しの果ての無謀な最期」みたいなストーリーにまとめられていってるぜ。それに反論もできない。死んじまうってのはそういうことでもあるんだ。
 ひとまわり以上、年のちがう俺と君では通じ合える部分はほとんどないかもしれない。
 唯一の共通点は、ヨルダンのアンマンにある「クリフホテル」という安宿に泊まったことがあるということくらいか。俺はそこに十二年前、二十五の年のときに居たことがある。
 貧乏旅行者の常宿というだけで、考え方だっていろんな奴がいる。イスラエルの存在に賛成する人間から反対の人間まで、あるいは広島への原爆投下をやむなしとするかあくまで非とするか、それくらいには幅がある。人格でいっても、世界中どこへ行っても友人に事欠かないであろう人間から、「友達」なんて言葉すらない国から来たんじゃないかというような奴まで、それはもういろいろ。
(マリオットより格上のホテルにしか泊まったことがないという人たちを集めたって、それはまあ、いろいろだろう?)
 思想や政治的な立場はまったく別として、金のない旅行をしてるっていうだけでこんな奴と一緒にされるんじゃたまらねえなと思ったことは俺も何度かある。

 だから俺がもしあんたと同室になっていたとして、どんな話をしたかはわからない。説教したかもしれないし、無視したかもしれない。危険な土地に行って帰ってきたなんてことを安直な武勇伝にする奴は吐き気がするくらい嫌いだったからな。

 ひと昔前は、パスポートにイスラエルのスタンプがあるとヨルダンは入国させてくれなかった。イスラエルを経由したことが明らかで、それでも入れるアラブの国はエジプトだけだった。それが緩和されていたのが裏目に出たのかもしれないな。

 でもなにもかもあとの祭りや。無念やな。口惜しな。