●FUJI ROCK FESTIVAL 2005:「都の話は聞かして下さいますな」〜ロックンロール“高野聖”譚

フジ・ロック・フェスティバル    [2005/7/29(金)〜31(日) 新潟県・苗場スキー場]


 日本でも増加するロックフェス。そのパイオニア的存在のフジ・ロック・フェスティバル(FRF)に行った。
 今回が通算9回目、苗場での開催となってから7回目を数える。


 今年は全般的に荒れた天候となり、風雨と地面のぬかるみには苦しめられたが、さしたる混乱もなく、延べ12万5000人の来場者が祭りを楽しんだ。
 なにしろ、出演者は国内外合わせて190組にものぼる。
 そこかしこで素晴らしい演奏が観られたはずだ。すべてを俯瞰することはできない。だが最終日、メインのグリーンステージで、この祭りを象徴する場面を見たように思う。


 登場したのは、くるり
 96年結成の彼らは、いわばFRF生え抜きのバンドである。
 最初は観客として参加、その後、苗場に場所を移したときに初出場、そして一年置きにステップアップして、ついに今年一番大きなステージに立った。
 こういう話が、バンド版出世双六みたいに安っぽく聞こえないのがいい。売り上げや動員といった数字には換算できない音楽の力。FRFでは、それを感じることが出来るのだ。


 くるりのデビューシングル「東京」は、第1回目のFRFを見に行ったときの体験がもとになった曲だ。


 暴風雨に見舞われて中止になった、伝説の97年の夏の情景。
 といっても、とりたてて劇的なことが歌われているわけではない。
 むしろ、持って行き場のない虚ろな気分が青白い光を放ちながら静かに沸点に達し、また静かに溶解していく、そんな歌である。
 そこにあるのはショウビジネスともヒッピー幻想とも無縁な、つまりは日常とともにある音楽の、微かな輝きだ。


 FRFではずいぶん人が好くなっている自分に気づく。
 桃源郷に来たようなものですべてにおおらかだ。でも都会に帰れば、また無愛想な都市生活者に逆戻りするのもわかってる。祭りってそういうものだ。だから、祭りの終わりはちょっと淋しい。


「東京」が鳴り響いたとき、あの場にいた数万人の胸に迫ったのはその刹那な感じではなかったか。
 こんな気分、たぶん夏の苗場でしか味わえない。


【読売新聞・大阪版夕刊:2005年8月19日(金)掲載】


※視認性の向上を図るため、紙面掲載時のものに改行を加えています。
※タイトルは、web掲載にあたって、改めて書き手(大内)が付けました。
※掲載時見出し:「祭りの終わりの刹那感」






やるかFuji Rock 1997‐2003  東京

とあるバンドのライブを見ました。
なにひとつ共感するものなく、30分ほどで出たのですが、
「つまんねえ」の一語しか残りませんでした。

Sex Pistolsはそれほど好きではないのに、
 The Clashは好きなこと。
ラフィンノーズは嫌いだが、
 ブルーハーツが好きなこと。
サンボマスターは好きだが、
 今日見たバンドは似ても似つかないものに思えること。

それらに共通して言えるのは、
「てめえのあたまで考える」ことができるかどうかの違いだと思います。

お客さんの行儀やタチが悪いのを
そのバンドの責任にするのは酷ですが、
盲従するのを好む、気だけは荒い幼年期の羊のような、
そういう聴き手に支えられる音楽には、とんと興味が湧かない。
やっぱねえ、
内輪で盛り上がってるものに興奮なんてしないです。
その内輪が何百万人、何千万人になろうが内輪は内輪。
ボートはボート、ファックはファックです。

あと、俺が好きなバンドに共通して言えるのは、
どのバンドもルーツミュージック(ブルース、ジャズ、レゲエ、スカ、ロックステディ等から、ロックンロール、サザンソウル、ティンパンアレイミュージック、バーバンクポップス含む)への
思慕、敬愛、偏愛が根底にあること。
これは大きい。
それが、表舞台に出てきたときのタイミングによって、
たまたまパンクと呼ばれただけってとこはあると思いますが。

たぶん俺は、パンクなんて好きでもなんでもないのです。
NOと思うものにはNOと言う、しかし、
態度としては開かれている、
そういうオープンな姿勢が好きなのです。
音楽として、豊かなものが聴きたいのです。
きのう見たものは、あまりに貧しすぎました。
音楽としても、ふるまいとしても、心のありようとしても。

貧しさはーー時代や置かれた環境、生来の気質などからーー
仕方のない部分もあるでしょうが、
留まるところのものでも、また誇るべきものでもない。

ジョンレノンと丹下段平関川夏央からそう教わりました。
ピース。