●明るすぎるのも
先日、離婚するというのでわざわざ会見を開いたご夫婦(その時点ですでに元夫婦?)がいた。
テレビを見る習慣をなくして久しく、その会見というのも見てはいなかったのだが、昨日(12/8付け)の朝日新聞の家庭欄にその女性のインタビュー記事が載っていた。
過剰と思える自意識が、談話からでもあふれんばかりにうかがえる。
ま、このひとが他人と暮らすのはむつかしいだろうな、と思える。
派手な衣装で会見に臨んだのは、少しまえに雑誌で見たスカーフの巻き方をしてみたのだ、とのこと。
「今度人前に出るときの服にしよう」と思っていて「一番早かったのが、あの会見」だったのだそうだ。
離婚会見だからといって「おさまる感じ」になるのはいやだった。
「憎みあって別れるわけじゃ」ないから「地味な服を着て、メソメソ泣いて、同情を買うような離婚じゃない」
「とにかく明るくしたかった」と。
こういうひとは'80年代にけっこう見かけた。
特に有名人というわけでなく、女性、男性を問わず、ふつうに周囲にいたように思う。
あの頃にこういう属性を養ったひとはずっとそのままなんだろうな。
そう思うと、すこし裏寒い気持ちになった。
他人様には他人様の事情があるだろうから、離婚云々や会見云々はどうだっていい。関心もない。
ただこういう心の有り様には少々感じるところがある。
暗すぎるのもビョーキなら、明るすぎるのもビョーキではないか(このビョーキというのもいかにも「あの時代」的だが)。
後者は症状を自覚しないから治りようがない。深刻さでいうと前者を上回るように思うのだが。
白色蛍光灯で1000ルクスに照らされたコンビニに長居するとよくわかる。
明るすぎるのも滅入るものである。