●夢のようなことばかり

完全復活祭・日本武道館



朝9時すぎのひかりに乗って、正午すぎには東京駅に着いた。
思いのほか雪の影響はなく、定時の運行だった。
地下街をぐるぐる歩いて半蔵門線大手町駅へ。3駅で半蔵門
イギリス大使館の裏にあるホテルに投宿。


この辺り、もともと閑静な界隈だが、日曜ともなるとほんとに静か。
コンビニ以外、空いてる店が皆無。
でも好きだ。
麹町、番町、四谷くらいの辺りって(あと市ヶ谷の北の方とかも)、どっか独特である。
大阪でいうと北浜から本町のあいだくらいの感じだろうか。


都心のど真ん中なんだけれど、意外と住宅街でもあるこの感じ。
同じ都心の傍育ちでも、徹底的に下町、工場街寄りの俺などは、こういうのに弱い。
郊外・サバービアにも弱いっちゃ弱いんだけど、あっちよりはまだ分かり合える感じがする。
もちろん、住宅として住めるとは思ってない。
将来も無理。
しいていうなら、事務所として借りて、そこのソファで寝起きするみたいなのが理想(ってなんの理想だ?)。
昔、関川夏央氏が、番町の出版社(?)の一角で寝起きしていて、というエピソードをエッセイに書いていて、それに依るところが大なのかもしれないが。


ま、そんなこんなでお奨めの立地にあるDホテルから、まずはグッズ買いに武道館へ出動。
2時目指して行ったのだが、すでにけっこうな列。
並んでいるあいだに、武道館のなかからリハーサルの音がかすかに聞こえる。
ああ、この曲もやるんだ、と思いつつ待っているのは全然苦ではない。
かれこれ25年半くらい前、大阪の住之江の競艇場でのライブ(《The Day of R&B》!)のとき、同じように並んでいるときに「つ・き・あ・い・た・い」が聞こえてきたのを思い出した。
そうこうするうちに30分ほどで売り場に辿り着いた。
限定Tシャツを友人の分も買い込む。
自分用にタオルマフラーも。


北の丸公園と皇居のあいだを東西に横切っている道(千鳥ヶ淵から竹橋に抜ける道)を西に歩く。



10年前までやっていたバイク便時代、この道を通るのが好きだった。
信号がなくスムーズだし、緑が多くてオゾンな空気に満ちている。
なにより夏場は、他より確実に1,2℃、気温が低かった。涼しいのだ。
そんなことも思い出しながら、半蔵門へ戻る。


ampmで十宝菜中華丼を買い(中国人の女の子がレンジで温めてくれた)、部屋で腹ごしらえ。
ひと眠りして再び武道館へ。
歩いて20分くらいで行ける。
上京してライブ見に行くひと、ほんとにお奨めです、ダイヤモンドホテル。


さて、午後5時45分の武道館前は大混雑。



携帯で3度連絡をやりとりして、ようやく友人と落ち合う。
入るのにもひと苦労だが、入場時、「快気祝いです!」という声とともに手拭いを手渡される。
粋な計らい。


席は東R47。
上手側でステージの真横。天井まであと6段くらいというあたり。
でも自分で取ったチケットの席だ。それだけで嬉しい(生意気で済みません)。
場内は、アリーナの辺りにちらほら原色のTシャツを着たひとが目立つくらいで、だいたいは黒、グレイ、茶色な世界。大人たちが集まってる感じ。


10分押し、6時10分に影アナが入り、俄然盛り上がる。
客電が段々と落とされ、ヴィジョンに映像が映し出される。


スキンヘッドの清志郎の姿。


会場全体では手拍子がつづいていたが、俺は思わず、打つ手が止まった。
父親のそういう姿を、俺も写真に撮ったことがあったので。


映像はそこからパラパラマンガのように進んでいく。
闘病時代の清志郎の顔。顔。顔。


でもその顔は、やがて生気を得ていく。
もじゃもじゃとしたパーマ頭のウィッグ姿には、笑いも起こる。
坊主頭の清志郎から、どんどん髪の毛は伸びていく。


ベッドに横たわった清志郎がパチリと目を開けて身体を起こす。
「2年間、よく寝たぜ」という吹き出し
喝采
起き上がって、メイク。目元がキラリと光る。
ベッドを出て、部屋を出て、街に出る清志郎
歩くたびにキラリン、ピラリンと何かが輝く。
衣装がスーツに、そしてカラーに変化していく。
全身が明るい色のコンポラスーツに化けたところで、正面からこちらを指さす清志郎
「完全復活」の文字。


ステージでは、暗がりのなかでバンドNICE MIDDLEが「君を呼んだのに」のイントロダクションの部分を奏でている。
MCのMr.ツタオカが現れ、煽り、呼び込み。
「ミスター、完全復活、イマワノ、キヨシローーーー!!!!!」


黄金のガウンを背負った清志郎が下手から現れた。


俺は、映像が映し出された時点ですでに涙ぐんでいたのだけれど、清志郎がステージを端から端まで歩き、第一声を発したときにはもう滂沱の涙である。
いささか格好悪いが出るものは仕方ない。


このあと復活祭は大阪、京都とつづくので曲名は秘す。
印象に残った言葉をひとつ。
5曲うたったところでのMC。


「なにが嬉しいって、バンドで戻って来れて凄い嬉しい。
椅子にでも座って地味にやることになんのかなと思ってたから。
バンドで戻って来れてほんとに嬉しい」


そして、さらにのち、仲井戸"CHABO"麗市が登場。
四十男、さらに泣。


あの曲の、コーちゃん(新井田耕造!)の三連打が聴けるとは。
チャボと清志郎が共作したあの曲が聴けるとは。
そんな驚きと喜びがいくつもあった。


そして。
「俺みたいにどっか行ってた奴が、必ず帰って来れるように祈りを込めて歌います」
といって始まった本編の最後の曲。
クライマックスでのマントショー。
清志郎ならではのコミカルな味つけも施された、お馴染みのこの演出なのだが、今回ばかりは趣きが違った。
坊やによしよしと肩を叩かれ、袖に引っ込むかと思わせてマントを跳ね上げる、JBばりのあの仕草。


このひとは、いったい何度、あのマントを跳ね上げたのだろう。


並の人間の何倍もの密度で生きてきたあのひとは、あのマントを何度振り払って、あの場所に立っているのだろう。
襲いかかる、ときには忍び寄る、ときには優しく包み込むように降りてくるあのマントを。
俺には到底、想像がつかない。


現在と過去と未来、すべてがごたまぜになって、奔流のように押し寄せてくる3時間だった。


この数年、思いもかけない別れがいくつもあった。
親しいひとを何人も喪った。
しかし、授かったものもある。
清志郎が帰って来たこともそのひとつ。


無事の生還を、なによりも今夜は祝いたい。