●夢か現か、御影堂


きのうのこと。
夕方、某イベンターさんの事務所にお邪魔したあと、6時30分、阪急梅田発の快速急行で京都へ向かう。
河原町の駅から四条通りを東へ。
八坂神社の正面を左に迂回、夕闇につつまれた円山公園を抜け、浄土宗総本山知恩院へ急ぐ。
三門の脇を通って女人坂をのぼり、大殿・御影堂にたどり着いたときには、もう7時半を軽く回っていたか。


《響流十方(こうるじっぽう)〜be in harmony〜》。
アルケミークリスタルボウル奏者・牧野持侑、シンガー・おおたか静流、聲明の七聲会らが一堂に会し、聲の持つパワーを響かせるというイベント。


http://www.greens-corp.co.jp/schedule/info/index.php?event_id=1166


遅れてしまったので、最後の七聲会を中心としたセッションだけしか聴けなかったのだが、それでも充分。
あまり経験のない音楽体験だった。
まずなにより舞台がすごい。
国宝の御影堂は思いのほか、巨大だった。
ライブハウスでいうと、ZEPP OSAKAを横にしたくらいの広さはある。
その、何百畳敷きだかの畳のうえに、皆、思い思いに坐っている。
ぎゅうぎゅうというのではないが、満員の入りである。
むせるくらいに香が焚かれ、壇上では松明に火が絶やされることなく燃えている。
その伽藍(天上までの高さは14,5メートルはあるだろうか)を、持ち込まれた近代的な照明が照らす。
それだけでも相当に浮世離れしたセッティングだが、そこに声が鳴り、響くわけである。


8時から始まったセッションはノンストップで1時間に及んだ。
南無阿弥陀仏」と唱える僧侶たちが入場するところから始まり、ゆっくりとしたペースで、コントラバスなどの弦のチーム、おおたか静流のボーカルが加わっていく。
ラスト20分のパートは、バーンスリ、タブラ、シタール、インドフルートも入って、厳かだが圧倒的な昂揚感のもと、幽妙な世界が広がっていったのだった。


しばし現身から離れていたような心地のまま、表に出る。
機材の搬出のために臨時のライトで照らされた境内にはトラックが停まっていたのだが、それすらもなにやら物としての輪郭が曖昧に思える。



坂道を下って街に戻ったのだが、祇園の繁華街から歩いてわずか15分のところに、あのような場所がある。
やはり京都というのは不思議な土地だと改めて思う。


3年後の2011年は、浄土宗の開祖・法然上人が亡くなられて800年にあたる年なのだそうだ。
その節目の年の大遠忌(だいおんき)を臨み、いろいろなおつとめごとがあるとのこと。


この粋な催しの次回の開催も待ちたい。


http://sound.jp/tengaku/Frames/FrameShichiseikai.html


存亡の秋(SONBOU NO TOKI)