●「誰も知らない」を知る

 

日曜の深夜未明、映画『誰も知らない』を観る。
ずっと以前にビデオに録っていたのだが、なぜだか手が出ず、そのままにしていた。
私は、もともと是枝監督の作品には腰が引けるところがあったのだ。


それが先日観た『歩いても 歩いても』でかなり払拭された。
さらに今週は、YOUさんのコメントも録りに行かねばならない。
『誰も知らない』は、信頼する映画畑の友人が「良い」と言っていたこともある。
そんな事情があいまって、ようやく観たのだが、当然のごとく、やられてしまった。


この作品に「悲惨な状況が描かれていることに堪えられない」とか「親の身勝手さが目に余る」というような見方で臨むのは的を失していると思う。
イデオロギッシュな見方をするのは自由だけれど、それではこの話の本質からはほど遠い感想しか導けないだろう。


ある種、ゴールディングの『蠅の王』や、楳図かずおの『漂流教室』に近いものを感じた。
つまり、残酷だけれど雄々しくもある、悲惨だけれども希望もあるということ。
いや、雄々しくもなく、希望もないかもしれないけれど、そういうものでもないことにはやっていけない。
そういう世界だということ。


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