●「ポール・マッカートニー症候群」


こういうひとに出くわすことがある。
仕事やら、プライベートやら、なにやらかんやらの場で。


普段の雑談の場や、原則的な話をしている場面では、話が通じないわけではない。
「ああ、この人もさすがに分かってるんだな、このあたりのことは」と思ったりする。
言ってみれば、「平時」においてはまともなのである。


ところがこれが、一旦コトを構えるというか「有事」というか、なにかを決めなくてはという段になると、急に雲行きが変わる。
言っていることが−−たとえ言い方は慇懃であっても−−我田引水めいていく。
すべてが我がの論理を補強するための文言になっていく。


あれ、こないだ言ってたことと違くない?
という異議にさえも、
日によって言うことが違ってくるのは当たり前だ、てな言い草で、横紙を破っていく。
結局、物の道理の分からない者が勝つみたいな、おかしなことになる。


こういうのってなんだかな、と常々頭の隅っこで引っかかっていたのだけれど、昨日見たニュースでわかった。


こういうのって、これだ。
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ポール・マッカートニーというひとは、おそらく悪いひとではないのだろう。
いい曲もいっぱい書いたし。
しかし、あれなのだ。
なぜか、こういうことを言い出すひとなのだ。


ジョージの命日、そしてジョンの命日が近づいたこの頃。
世の中は(日本では)ボーナスだ、(欧米では)クリスマス商戦だなんだといって浮き足立ってくるこの頃。
そういう頃に、こういうことを言い出す。


これ以上カネがいるんかいな、という身分になっても(ま、莫大な額の慰謝料を払わなければならないとしても、それにしても)、こういうことを発案し口に出し、おおむね実行するひとなのだ。
心の底から溜息が出る。やれやれ。


かつて、70年代の初め、ジョージが呼びかけた『バングラデシュのためのコンサート』(1971年)には不参加。
けど、70年代終わりの、ユニセフ主催の『カンプチア人民のためのコンサート』(1979年)には参加したポールさん。


いうまでもなくこのコンサートは、ポル・ポトの独裁、さらにベトナムの侵攻を受け、疲弊していたカンボジアのために企画されたもの。
当然、この現状をなんとかしなきゃ、という話なわけである。
しかしそのコンサートに出て行ってトリを取り、そこでポールが歌ったのが「Let It Be」。


あのね、あるがままに、って言ってる場合じゃないから、チャリティ・コンサートやってんです!
って、そういう理路が通じないのが、このひとなのである、おそらく。


今後、こういう傾向にある方は“ポール・マッカートニー・シンドローム”なんだなと思うことにしたい。
思って、いくらか心の平安を得たい。
別に、名づけたところでどうなるものでもないのだけれど。