●「作品」という「どこでもドア」で遠くまで


来年デビューする、阿部真央という女性シンガー=ソングライターのコンベンションライブを拝見。
4曲演奏してくれたうちの真ん中、「貴方の恋人になりたいのです」と「母の唄」という2曲が良かった。


大分から東京に出てきたばかり。
ルックスにも華のある18歳。
その辺のキャッチーな話題性から、しばらくは見た目や声の第一印象で語られることが多いのかもしれない。
だが、思うにその手の「キャラクター戦略」みたいなことは、少なくともこのひとには必要ないのではないか。
必要ないというより、はっきり邪魔だと思う。
「等身大」とか「溢れだす激情」とか、全部NGワードにしたほうがいい。
そんなことよりも、作家性を重視すべきソングライターではないかな。


自分で脚本を書き(=作詞)、演出をして(=作曲)、演じて(=歌う)、編集する(=編曲)。
そういう風にきちんと作品(=曲)を作れるならば、その道をまず邁進すべき。
「そのままの自分」とか「ありのままの自分」なんてショートカットに甘えずに、作品を通じてリスナーと切り結ぶ。
そういうことを志向したほうがいいと思う(ご本人はそうしてると思うけど)。


作品という形を通してエゴを相対化しないと、そもそも「ただの自分」になんて誰が振り向く?
そうやってエゴを封じ込めたり濾過する作業を通して作ったものだから、身の周りのごく周辺を越えて、はるか遠くまで届くのである。


だいたいそうしないと、作り手なんて稼業は身が保たないはずなのだ。
生身で受け手と向かい合うなんてことが可能だと思うのは相当な思い上がりだし、それが表現者をどれだけ摩耗させるか。
どう考えたって得策ではない。
なのにその手の「キャラ売り」が蔓延してるのは、手っ取り早くカタチに出来るから。
手っ取り早く利益につなげることができるから。
ここ10年のJ-POP事情を斜めから見ていると、私にはそうとしか思えない。


作品づくりという、一見、迂回路に見える道筋をちゃんと活用したほうがいい。
10年一線に立っているひとは、まず間違いなくそうしてる。


その「作品づくりを志向しては?」という意味では、デビューアルバムのリード曲のバンドサウンド・アレンジはいかがなものか。
エイトビートって、ほんとはもっと格好いいもんだよ。
蛇足だが、そこはちょっとくやしい。


ふりぃ(期間限定生産盤)


蛇足の蛇足。
エントリータイトル、ちょっと「ドラえもん短歌」(川柳?)入ってます。