●髪の毛の跳ねる暮らし


年が改まったのを機に、いくつか目標を立てた。


考えてみれば、毎年、年始に10個くらいの項目を挙げる。
そのうち、成就するのは2つか3つである。
だったら最初から2つか3つを挙げておけばいいのにと思うのだが、そうすると1つもかなわないような気もする。
勝率でも打率でもだいたい2、3割。
そのくらいが気持ちの上でも楽でいい。


で、今年掲げたひとつが「髪の毛の跳ねる生活を送る」。
どういうことか。


要は「寝る前にきちんと風呂に入る」ということである。
なんだか子供の誓いみたいだが、私はこれができていなかった。
10年前に、風呂なし(つまりは銭湯通い)のアパートを引き払って以来、いつでもシャワーを使えることにあぐらをかいて、ほぼ9割方、朝風呂生活だった。
それを変えてみようというのである。


テレビドラマでの夫の帰宅風景を描く会話としていまだに残っているクリシェ、「あなたお風呂にする? それとも夕飯?」から察するに、世のお父さんがたの生活様式の主流派は、まあ少なくとも就寝前にはひとっ風呂浴びるのが普通なのだろう。
私は仕事の時間が不規則ということもあるが、家に帰っても風呂には入らないで寝ることが多い。
といっても疲れ切ってしまって、その余裕も時間もないというようなモーレツなことではない。
家に着くとなぜか、心持ち、目のほうは醒める。
なので、寝静まった家族の様子を窺いながら、ごそごそと仕事の残りに手をつけたり、急ぎでない本を読み始めてしまったり、こんなブログを打ったりしてしまう。
で、ビールの缶を開けたり、焼酎をお湯で割ったりもしてしまう。そうするうちに、面倒くさくなってそのまま寝てしまうのである。
だがちゃんと風呂に入って、いくらか身体を温めて眠ったほうが健康のためにはいい。
わかっている。衛生上も、精神衛生上もそのほうがいい。
なのにできなかった。
それがなぜかを考えてみるに、髪の毛の跳ねに思い当たった。


実際、元日からこっち、風呂に入ってから寝るという生活をした。
すると、よくわかる。
てきめん髪の毛は跳ねまくっている。
朝起きて鏡を見て、髪の跳ねに気付き、水で濡らしたりヘアジェルを少しだけつけてみたりする。
が、まず思うようには直らない。
で、ああ、俺はこの髪の毛の跳ねとかそれを気にして直すとか、そういうもろもろがとびきり面倒くさくて、結局、朝、風呂に入ってたんだなと気付いたのである。
なにせ一応はバブルの子、「朝シャン」なる言葉が流行した1988年に、21歳だった私である。省みると、結局はそれがいやで朝風呂にしていたんだなと改めて思った。
朝、髪を整えるのに、いろいろと悩みはつきない。髪の跳ねは簡単には直らない。だが、シャンプーしてしまえば?
思うに、朝シャンというのはターミネーター的解決法である。アルティメット・ウェポンとでもいおうか。いわば最終兵器である。
そう、朝シャンで、たいていのことは可能になるのである。
それが気にくわない。
小さなことで大きなことをいうようだが、そういう部分もある。
「丸投げ」とか「振る」とか「アウトソーシング」とか、そういうことが嫌いである。というか苦手なので、一括して処理解決みたいなやり方には距離を置きたい。


やや倒錯的な言い方になるが、髪跳ねてるとか髪型決まらないとか服の色が合ってないなあとか、そういうことでいちいちくよくよしたいのである。
そういう「あちゃー」な思いから解放されなくていい、と思うのである。
日常の些末なことは些末なこととして引き受けていったほうがいいのではないか。
少々髪の毛が跳ねるくらい、なんなのだ。
と、そういう気分で行きたいということでもある。
ま、程度問題ではあるけれど。