●百年の閉塞


朝日新聞(4月2日付)に松本健一の談話。
■閉塞感のほぐし方(2) 考え抜けば破格の思想


なかで石川啄木の評論がふたつ、触れられている。
ひとつは、明治43年(1910年)8月に執筆された「時代閉塞の現状」。
もうひとつは同じ年の2月に書かれた「性急な思想」である。


この記事を読んで、そのあいだに書かれたもうひとつの論文を思い出した。
『硝子窓』(同年6月執筆)というその論は、この一文で始まる。

「何か面白い事は無いかねえ。」という言葉は不吉な言葉だ。

そしてこう続いてゆく。

何か面白い事は無いか!
それはすべての人間の心に流れている深い浪漫主義の嘆声だ。−−そう言えば、そうに違いない。
しかしそう思ったからとて、我々が自分の生命の中に見出した空虚の感が、少しでも減ずる訳ではない。
私はもう、益の無い自己の解剖と批評にはつくづくと飽きてしまった。

これを書いたとき、啄木はまだ満24歳にすぎない。
四十を過ぎても、「なにか面白いことないのー? ○○ちゃん?」とギョーカイ言葉で話しかける輩が跋扈する世界で糊口を凌ぐ身としては考えさせられる事実だ。
ま、さすがに大阪なのでここまで露骨に馴れ馴れしい口調ではないが、それでも口を開けば「なんかオモロいことないんか」しか言わない人は確実に存在する。

「何か面白い事は無いか。」
そう言って街々を的もなく探し廻る代りに、私はこれから、「どうしたら面白くなるだろう。」という事を、真面目に考えてみたいと思う。


いや、ほんとそうだよ、石川君。
百年遅れだけど、オレも考えてみたいと思うよ。


   *  *  *


啄木石川一は26年とひと月半生きて、97年前の4月に死んだ。


ちくま日本文学全集 (030) 時代閉塞の現状 食うべき詩 他十篇 (岩波文庫) 石川啄木 (21世紀の日本人へ)