●あまねき音楽の雲上人に


今夜の番組のなかで1時間、加藤和彦さんの特集をやろうということになった。
いつかやらなきゃね、とスタッフ内で話していたのだけれど、最終的に決めたのは先週のオンエアの直前だった。
あまり準備の時間がない。
一昨日から昨日にかけて、喋り手とふたりで選曲を挙げ合って詰めていった。


そうすると、さすがにキャリアの長い方である。
局のディスク・ライブラリーに入っていない曲がいくつも出てきた。
たしかに42年のキャリアを、開局からまだ20年の局の所蔵音源でフォローしきれるわけはない。


しかし、これだけはなんとしても外せないという話になったのが、岡崎友紀の「ドゥー・ユー・リメンバー・ミー」。
岡崎友紀といっても、いまの四十以下の世代には馴染みの薄い名前かもしれない。
70年代には、コメディを演じられるアイドル女優として圧倒的な人気を誇った方である。
その彼女が、1980年のリリース時は名を伏せ、「YUKI」という名義で発表したのがこの曲だった(のちに岡崎友紀の歌唱であることが明かされた)。


ところが、この曲が局にない。
くやしい。
というのも、8年前、キタキマユがこの曲をカバーしてスマッシュヒットさせたときに、オリジナルバージョンもマキシシングルとして発売されていて、そのサンプル盤を私は持っている……はず、なのである。
ところがそれが見つからない。
家のどこかにあると思うのだが、探し出せない。
それがくやしい。
なにも家が広いからというのではない。
逆だ。所狭しとCDだの本だのを積み上げすぎていて、どこにあるのかわからないのだ。
なんのために捨てずにキープしている素材なのか。
情けない。


しかたなく、店で探すことにした。
が、これはこれで、いま探そうとすると意外に入手困難であることがわかった。
70年代中盤まで(東芝時代)の、いかにもアイドル然とした頃のベストならある程度見つかるのだけれど、ワーナーから出ていたこの曲がない。
茶屋町タワーレコードから大阪駅前ビルの地下に散在する中古盤店へ。
そのあと、さして期待せずにマルビルのタワレコを覗いてみたら、あっさり見つかった。
フィル・スペクターに影響を受けた(であろう)楽曲ばかりを集めたというマニアなコンピレーションに収録されているのを発見したのである。

音壁JAPAN


うん、これはやっぱり探してかけるだけの価値の、充分ある曲だった。


   *  *  *


番組でオンエアした楽曲。

1. Memories / 加藤和彦 〜『パパ・ヘミングウェイ』(1979)
2. 悲しくてやりきれない / ザ・フォーク・クルセダーズ 〜『紀元貮阡年』(1968)
3. 家をつくるなら / 加藤和彦 〜『スーパー・ガス』(1971)
4. どんたく / サディスティック・ミカ・バンド 〜『黒船』(1974)
5. 塀までひとっとび / サディスティック・ミカ・バンド 〜『黒船』(1974)
6. ドゥー・ユー・リメンバー・ミー / YUKI岡崎友紀) 〜(1980)
7. メケメケ / Doctor Kesseler 〜『スネークマンショー』(1981)
8. あの頃、マリー・ローランサン / 加藤和彦 〜『あの頃、マリー・ローランサン』(1983)
9. CUPID'S CALLING / VITAMIN-Q 〜『VITAMIN-Q』(2008)


「帰ってきたヨッパライ」も「あの素晴らしい愛をもう一度」も「タイムマシーンにおねがい」もかけない、いつもながら、少々へそまがりな選曲ながら、おおむね好評だったように思う。
日頃、うちの番組にはあまりリターンのない方々からも感想を多くもらえた。
60年代末から70年代にかけて、彼の存在がいかに大きなものだったか。
私は、そのニュアンスをほんとうには知らない世代だが感じるものがあった。


加藤和彦さんとは一面識もなかった。特定のファンというのでもなかった。
むしろ、彼の存在を意識にのぼらせることは少なかったといっていいと思う。
いろいろと聴いてきた(つもりの)なかの、あらゆる音楽の背後に彼の影があることを、あとになって知る、そういうことが多かった。
ユビキタス的なる加藤和彦
その不在についても、恐らくあとから効いてくるんだろうなと思う。
思いながら、『パパ・ヘミングウェイ』を聴き返している。


パパ・ヘミングウェイ(紙ジャケット仕様) あの頃,マリーローランサン Memories 加藤和彦作品集