●二十四歳の選択

「(ベトナム配属など)危険な任務につくのが怖かった」

 チャールズ・ジェンキンスさんは、そう思って38度線を越え、北へ渡った。40年前・・・ということは当時24歳。くしくも香田証生くんと同じ年齢だ。
 1964年、J.F.ケネディが暗殺された翌年。日本では新幹線が走り始め、東京五輪が開催された年。新潟で前の地震が起きた年。

 この年、8月にトンキン湾事件が起こり、米軍は一気にベトナム攻撃へと突っ走っていく。というか、ベトナム戦争突入の口実としてトンキン湾事件起こされたのだけれど(しかしアメリカのやり口ってのは毎度毎度ワンパターンだな)。
 ソ連(現ロシアのことです。念のため)ではフルシチョフが解任され、ブレジネフが台頭、中国は核実験に成功していた。

 さて、ではここで問題です。

「そういった国際情勢のモロモロをふまえて、ジェンキンス青年(当時)が取った『脱走』という選択は、果たして正しかったのでしょうか? それとも間違っていたのでしょうか?」



 わからんよね、そんなん。

北朝鮮を通ってロシア(ソ連)まで歩き、最終的にアメリカへ戻って出頭し、除隊するつもりだった」という説明は、いまの感覚からするとなんだか突飛に思えるかもしれないが、ベ平連がやっていた脱走兵援助のルート(日本・北海道>ソ連スウェーデン)などを考えるとあり得ない話ではない。
 ジェンキンスさんに直接関係はないが、'60年代には日本から北朝鮮への帰還運動だって盛んに行われていたんだし。

 モラルの問題にしたとしても、そのモラルの足場を「一市民」に置くか、「兵士」に置くかで全然違う。サバイバルの可能性をいうにしたって、それこそどっちに転ぶかはあとにならないとわからない。
 結果的にジェンキンス青年は40年後まで生き延び、なんとか自由主義陣営を標榜する国(日本のことです。念のため)にやって来ることができた。けれど、それも幾重もの偶然の果てなのであって、とてもこのような半生を二十四のときに予想することはできなかっただろうと思う。

 二十四というのは重たい年齢だ。
 そこには、過ぎてしまうと戻ることのできないポイントがあるような気がする。
 あくまで個人的な感想に過ぎないけれど。