●ZAZEN BOYS:美は酩酊にあり

ZAZEN BOYS    [2005/5/10(火) 心斎橋クラブクアトロ


 ニッポンのロックシーンの最前線で“切った貼った”を繰り広げているZAZEN BOYS。
 宮藤官九郎の『真夜中の弥次さん喜多さん』を始め、映画音楽に起用される機会も増えているが、なによりライブでのパフォーマンスが刺激的なバンドだ。とっつきやすいサウンドとはいわないが、初めて観る人には新鮮な驚きがあるはずだ。


 中心人物でボーカル/ギターの向井秀徳、ベース日向秀和、ギター吉兼聡、そして今年から新たに加わったドラムス松下敦。シンプルな四人編成ながら、それぞれの音の応酬が凄まじい。まるでリズムに「闇討ちに遭う」感じとでもいおうか。その破壊力はこの日も存分に発揮されていた。
 向井が、咆哮とともに弦をひと掻き弾くと、ベースが、ドラムスが、ギターが、間髪入れずに応える。そのやりとりが、常人ならざる間合いで飛び交う。轟音ではあるけれど、音圧にまかせてその場を埋め尽くそうというのではない。つぶてを投げるように音を発し、空間を切り裂いてゆく。ゲリラ的な自由を感じた。


 その音に乗せて、「くりかえされる諸行無常/よみがえる性的衝動」といったフレーズが幾度となく繰り返される。
 まるで念仏でも唱えているようで、一見、抹香臭く思えがちだが無理もない。生きるがゆえに立ち現れる、まさしく煩悩の数々が――たとえば圧巻のクライマックス曲「自問自答」に顕著なように――ごまかさずに歌い込まれているのだから。
 曲間での、人を喰ったような向井の語りも魅力のひとつだ。そして最後の曲を終え、ステージから引き上げるとき、向井は客席に向かって、必ずひとこと「――カンパイ。」と言って手をかざす。


 そこで気づいた。彼らがライブで供するのは“発散”ではなく“酩酊”なのだ。その意味ではきわめて大人の音楽である。日々の憂さは、ライブで騒いでも解消されない。腹のうちに溜め込んでいくよりほかにない。そうと分かったうえで、だからこそ必要な“日々の祭り”。その聖にして俗なる神輿の担ぎ手たちを見た気がする。




【読売新聞・大阪版夕刊:2005年5月20日(金)掲載】


※視認性の向上を図るため、紙面掲載時のものに改行を加えています。
※見出しは、改めて書き手(大内)が付けました。
※掲載時見出し:「供するのは“酩酊”」





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