●明るくなくてもいいですか

土曜日(6/25)、Zepp OsakaYOSHII LOVINSONのライブを見る。
THE YELLOW MONKEY時代には縁がなく、ステージで歌うところを見るのは初めてだったが愉しめた。
特に照明は秀逸。アイデアとセンスにあふれたライティングで、(もちろん曲と相まってだけど)オープニングから引き込まれる。

ただ個人的には、よりヘビーな、内省的な部分に踏み込んだ曲を、もっとつづけて聴きたい気はした。
ヘビネスにはまりこまずに、アップテンポなナンバーをはさむあたり、サービス精神なのか照れなのか。

映画でいうと『21g』とか『マグノリア』とか『Fearless』みたいな世界観を見せてくれるような人じゃないかという気がしているのだ。ソロになってからのアルバム2作を聴くかぎり。
つまり、暗く重いテーマを扱っているんだけど、アカデミー会員も認める程度にはメジャーな作品――んー、このあたり言い方が難しいけど、まあ、インディー=アート・ムービーって、わりとありがちな破綻を来してて、にもかかわらず「いいじゃん、アートだから」って言い訳してるような作品も多いと思うのです。だから、そういうんじゃない映画って意味で。
その辺は次作以降に期待か。

明日、『リンダ リンダ リンダ』の山下敦弘監督のコメント収録をするので、その予備知識仕入れに、前作『リアリズムの宿』をビデオで駆け込み観賞。
面白い。
この“間(ま)”の感覚は『リンダ リンダ リンダ』にも充分活きている(最後の駅前のシーンは、ちょっとぐっとくるものがあるし)。
ただ、ダメ自主映画監督男ふたりだとこうなのに、女子高生が主役だとああも変わるのか。
……と、一瞬思いかけた。
でも底に流れてるものは、どっちもたぶんそんなに変わらないのかも。
リンダ リンダ リンダ』の4人も屈託あるもの、それなりに。
で、『リアリズムの宿』に出てくる、三十路に入りかけたダメ男 の屈託も、たぶん“それなり”のものなのだ。

そんな風に、いずれの対象であろうと、ある種、突き放してみることのできる視線を、この監督は持っているんじゃないかな。

明るくなくても冴えなくても、まあいいや、ということを言っても、さして場が暗くならないというのは大したものだ。

YOSHII LOVINSONの曲と山下敦弘の映画ではずいぶん違うが、たんまたま近い時期に接したよしみで、あえて共通点を探すとしたら、そんなようなことではないかと思った次第。

以上、覚書。