●CRAZY KEN BAND:どこかで歌が呼んでいる

CRAZY KEN BAND    [2005/5/27(金) なんばHatch


 家族連れとハンチング帽姿の男女が妙に目立つ会場で、クレイジーケンバンドCKB)を見た。ドラマ主題歌の効果もあってか、より広い層の観客が集まったようだ。
 序盤で初期の人気曲を立て続けに演奏。さらにソウル、ラテン色の濃い曲へと横滑りし、中盤にかけては発売前の新譜から4曲を披露。ファンクやクンビア(コロンビア発祥のダンス音楽)の取り入れを目指したという冗談交じりの解説もあって、彼らがいかに意識的に新しい音楽に挑戦し続けているかを窺わせた。


 当初、“昭和歌謡”と称せられていたCKB
 彼らが身上とする、横浜ー横須賀エリアに漂う日活映画以来の無国籍な情緒と、これも失われた時空間としての“昭和”のイメージ。
 それは半端な健全さが蔓延した平成の世に風穴を空ける、右投げ本格派の猥雑さ、エロティックさを持っていた。だが茶の間の認知の高まりに合わせて、そのヤバさも薄れつつあるのかなと懸念していたのも事実だ。


 しかしこの日のライブで強く感じたのは、そういったイメージの道具立てを超えた「楽曲の優秀さ」だった。逆か。秀逸な楽曲こそが多様なイメージを呼び起こしているのだという当たり前のことに気づかされた次第。


 中進国だった頃のニッポン――ボクシング人気が高く、港はここではないどこかへ旅立つための場所で、「貸した金のことなどどうでもいい」と見栄を切る男が絵になった時代――の姿を目の前に描いてみせるのは容易ではない。
 ボーカル横山剣の粋なキャラクター、卓越したバンドの演奏力、そして取っつきやすいメロディーだが実は入念に造りこまれた楽曲、という総合的な力がそれを可能にしているのだ。


 そんなことを考えていて、終盤、女言葉で唄われるバラード「横顔」にホロリときた。こういう女性がいなくなったわけじゃない。こういう女を唄う歌が少なくなった、それだけのことなのだけれど。


 浮かれた気分から苦い感傷まで、思いのほか深く幅のある感情が味わえた夜だった。




【読売新聞・大阪版夕刊:2005年6月17日(金)掲載】


※視認性の向上を図るため、紙面掲載時のものに改行を加えています。
※見出しは、改めて書き手(大内)が付けました。
※掲載時見出し:「感情揺さぶる楽曲の力」






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