●吉井和哉:リアルファイトへのキックボード
吉井和哉 [2005/6/25(土) ZEPP OSAKA]
ソロとなって初の大阪ライブだが、ヨシイ・ロヴィンソンにとってはツアー自体5年ぶり。
ライブハウス規模の会場となると、さらに久しぶりのことだ。
以前、在籍していたバンド、ザ・イエローモンキーは3年半の活動休止のあと去年の夏、正式に解散したが、それだけその存在が大きかったということだろうか。
いずれにしても、消費のスピードアップにやたらと熱心なのがこの国の音楽産業である。これだけの不在を貫くのには相応の覚悟を要したことと思う。
果たして、満を持して昨年来、発表された2枚のソロ作は、率直に自身の内面へ、そしてリアルに若い世代の心象へ斬り込んでいく意欲的なものだった。
そのアルバムの成果をステージで現出させることができるのか?
今回、まず気になったのはそこだった。
この日、ヨシイが最初の一声を発した瞬間に会場を覆ったどよめき。
そこには有り余る感慨がこもっていた。待ち望んでいたファンからすれば無理もない。だが飛び出してきたのはブランクなど微塵も感じさせない現役の音だった。同窓会的なムードは一瞬で立ち消え、華のあるバックメンバーが瞬発力に富んだ演奏で場を牽引していく。
さらに効果を高めていたのは照明である。数条のサーチライトが暗闇を照らし出すオープニングは出色だった。その後も一曲ごとに異なる着想のライティングが、ヨシイの不思議で自在な動きを浮かび上がらせていく。右脳と左脳を一度に刺激されるような快感があった。
ただ、個人的には彼の“闇”の部分をもっと覗いてみたい気もした。
というのも、たとえば映画でいうなら『マグノリア』のような世界観を表現できる、稀有な力の持ち主ではないかと思うからだ。
奇妙な味わいのユーモアと毒が同居する、グロテスクだが日常的な悲劇のなかで、最後に生命力のカケラが光を放つ――ヘビーな主題を扱いながら一級のエンターテインメントとして観客の胸を串刺しにする――そんなロックショウがいつか観られることを夢想してしまった。
【読売新聞・大阪版夕刊:2005年7月15日(金)掲載】
※視認性の向上を図るため、紙面掲載時のものに改行を加えています。
※タイトルは、web掲載にあたって、改めて書き手(大内)が付けました。
※掲載時見出し:「ブランク感じさせず」