●サザンオールスターズ:成熟を停めた永遠のカレッジフェス

サザンオールスターズ    [2005/12/11(日) 大阪ドーム


 ライブの方は申し分のない演出が為され、十全に愉しめるものだったが、大晦日まで続くツアーのため詳細は割愛する。
 せめて印象を端的に述べようと手探りしているうちに“グレート・アマチュアリズム”という言葉が浮かんだ。
 ステージを支えているのは紛うことなきプロの仕事だが、核にあるのはサザンオールスターズというバンドが体現する“未成熟さ”だと感じたからだ。


 1978年に彼らがデビューしたとき、その言語感覚に誰もが驚いた。
 有り体にいうなら「これでも音楽なの?」という具合に。
 それは新鮮で刺激的だった。


 しかしその後も、桑田佳祐はその感覚を持ち越したまま――より率直に言うなら、磨き上げるには至らず――現在まで来ているようにみえる。
 成熟や研鑽といった、大人の努力目標から距離を置くこと。できれば逃げ続けること。
 それが70年代末からこっちの、若者の気分というものだった。
 その渦中にあって桑田は自我を消し、内面なんて死んでも見せるものかとどこかで決心したんではなかろうか。
 成長を止めたピーターパンのように。


 サザンの楽曲群が、映画やドラマに借景として取り入れられたときに発揮する絶大な力と、それに比して社会的な問題意識に触れた曲はちっとも心に響いてこないという対照も、それで納得できる。
 主格を曖昧にぼかしたメッセージソングというのは、周到に信管を外した爆発物のようなものだ。
 それは異議申し立てというよりむしろ、不機嫌や怒りといった気分を表すためのオブジェと思ったほうがいい。


 これでも私は中一のときに初めて買ったドーナツ盤が「いとしのエリー」という“サザン世代”である。
 だがその後、音楽に多くを求めた私はハードコアなロック・リスナーとなり、サザンからは離れた。
 もっと他に夢中になれるものを――スポーツでもバイクでも女の子でも――見つけていれば、ファンで居続けられたのかもしれないが。


 この夜も多数を占めたであろう同世代の観客たち。彼らが過ごした四半世紀の時間と、自分のそれとの差に思いが及んで少し悪酔いした。
 偉大なるアマチュア精神を胸にサザンオールスターズがどこまで行くのか、今後もそれは見届けたい。




【読売新聞・大阪版夕刊:2005年12月16日(金)掲載】


※視認性の向上を図るため、紙面掲載時のものに改行を加えています。
※タイトルは、web掲載にあたって、改めて書き手(大内)が付けました。
※掲載時見出し:「偉大なるアマチュア精神」




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