●画は変わらずに言葉は移ろう


関川夏央谷口ジローのマンガ「『坊っちゃん』の時代」全五冊を読み了えた。
一日一冊のペースでむさぼるように読んだといえると思う。
漱石の第一部と啄木の第三部は、これまでも何度か読み返していた。
だがそれ以外は、初めて単行本にまとまったときにそれぞれの巻を一度読んだきりだった。
改めて通読してみると、多くの発見と深い感慨があった。
特に、初読の際は相当つっかえながら頁を繰った記憶のある第4部、幸徳秋水大逆事件のくだりがすっと胸に落ちた。
そして最後、漱石が伊豆・修禅寺で喀血する第5部。


1967年生まれの自分は、ちょうど百年、漱石と歳が違う。
だから計算がしやすい。
100年前、つまり今の私の年齢の頃の漱石がなにをしていたかというと、帝大講師等、一切の教職を離れて新聞社に入社、職業作家として筆一本で生活をまかなう道に入った頃なのである。
『猫』『坊っちゃん』をすでに著し、『虞美人草』を連載していたのが、漱石40歳の初夏から秋にかけてのこと。


この「『坊っちゃん』の時代」も、以前は俄然、啄木に入れ込んで読んでいたものが、今回はおのずと漱石の目線になっていたように思う。
もちろん明治人の四十歳と、浅薄なる平成の四十男ではその人格形成の幅と深さにおいてそもそも違いがある。ありすぎる。
だが一方で、それでもどこか通底するところがあるような気もするのである。
そう思うところがなければ、こうも身が入ることもないだろう。
倉持陽一のいうとおり、どんなひとでも僕と大差はないのさ。


明治の話、漱石の話はまた改めてするとして、本日の標題は作中の科白からの引用である。
かつて思慕を寄せた少女が、漱石の夢のなかに、二十余年来美しいままの姿で現われて語る言葉から。


自分だけがこうも年を取ったのは解せないという漱石に、「それはあなたの欲が深いからだ」と少女は言う。
「もっと美しいものを」と憧れるのをやめなかったからあなたは年を取ったのだ。
そう指摘され、何かに気づきかけた漱石はひとりごつ。
そうか、あなたは少女ではなく、女でさえない、ただの美にすぎない。
あなたは画だ。
少女応えて曰く、「画は変わらずにいて 言葉は移ろうのです」と。


そう言われ、「私は詩なのか」とつぶやいたあとの漱石の表情が、なんだかいい。
100歳年少の男も便乗して、俺は画ではない、移ろう言葉でしかないのだな、と妙に得心がいった。










『坊っちゃん』の時代―凛冽たり近代なお生彩あり明治人 (アクションコミックス)