●アンチ・オイディプス・ガール


京田辺で親殺しが起きた。


そもそも「父殺し」というのはギリシャ悲劇からシェークスピアエデンの東、青春の蹉跌にいたるまで、大きな文学的テーマでもある。数千年の人類史でもそれだけ昔から発生し、関心を持たれてきたことなのだろう。


だが今回、とりあえずひとつだけ気になったのは、容疑者が娘、つまり未成年の若い女性であるということだ。


去年6月に奈良では、父親に殺意を抱いた少年が家に放火し、結果、義母とその連れ子である弟妹を焼死させる事件が起きた。


親が、とりわけ父親が憎いのなら、憎悪・暴力は父親に向ければいいではないか。
それがなぜ母親や別の家族に向かってしまうのか。
弱い相手のほうが傷つけやすいからか。
奈良の事件が持ついろんな要素のなかで、私にはそのことが特に重かった。気分が悪かった。


抑圧され(ときに虐待されて)育った結果、長じて性犯罪の加害者となった(とされる)者たちも、その矛先を、やはり自分より力を持たない者へと向ける。


犯罪心理学的な分析からすれば、いろんな事柄が指摘できるのだろう。
あまり単純化してはいけない気もする。
だが力の弱い者に暴力(性暴力も含む)をふるう人間の事件を見聞きするたびに、気分が暗くなる。
そういう人間がいるということはわかる。
だがそういう人間が多すぎるという事実は、やはり気を滅入らせる。
そういう人間に理を見出そうとするかのようなメディアの物言いも、気を滅入らせる。


自分より弱い者に暴力をふるうのは、普通、卑怯と呼ばれる行為である。
でも「卑怯」ってあまり聞かなくなった。
人を出し抜いて儲けようとするのは、法にひっかからないやり口であっても、「狡い」「あざとい」として疎んじられて当たり前の行為である。
だがいまでは誰もそんな風には云わないみたいだ。


報道によれば、今回の事件は、16歳の女性が、45歳の男性に切りつけたということになる。
この男性は警官である。人間を組み伏せるといった武術の訓練もひと通りは受けている可能性が高い。
就寝中に襲ったとはいえ、もし一撃では果たせなかった場合、反撃され、斧を持ち込んだ自分の命が危うくなることも想像に難くない。
それでも娘は父親を殺そうとした。そうして実際に殺してのけた。


悲劇の起きた家庭の事情はわからない。
ほんとうのところはまったくわからない。
ただ、男どもが暴力の切っ先を力の弱い者に向けてばかりいるあいだに、そういう少女がいたということ。


実際は、娘に暴力をふるっていた中年男がいたという事実が先行してあるようで、
それを受けてのリアクションだった可能性は高い。
だから、どちらにしたって後味の悪いことにさして変わりはないのだけれど。



弱い者達が夕暮れさらに弱い者をたたく
その音が響きわたればブルースは加速して行く
                       ーー「TRAIN-TRAIN」


今夜見たのは、20年近く前、そういう歌をうたっていたボーカリストとギタリストのバンドのライブだった。これもなにかの巡り合わせかもしれない。


ヒロトはぴょんぴょん跳ねて歌い、マーシーはガツンとギターをストロークしてた。
20年前と全然変わらない。
「はさんじゃうぜ」とか「ゼロセン」とか、ミディアムテンポの新曲のエイトビートがずんずん効いた。




くだらねえ父親なんか相手にしてないで、君もフェスティバルホールに来ればよかったのにな。
学研都市線なら北新地まで一本なんだろ?




夢の島バラード」って、かっこいい曲があるんだぜ。
君に聴かせたかったと思う男の子がどこかにいたかもしれないな。
ちょっと遅かったな。遅かったんだな。












Train-Train  CAVE PARTY(初回生産限定盤)(DVD付)