●21世紀の狼少年狼少女


昨日、というか正確にいうと9月30日の夕方、出がけに家人からあるメールを見せられた。
橋本や南大沢(神奈川、川崎のあたり?)の量販店のトイレで、幼児を狙った酷い犯罪が頻発している、という趣旨のものだった。
一読しておかしいと感じた。家人も「厭な気分になったんだけど、なんか気になって」という。


簡潔ながらもどぎつい犯罪行為の描写、家族連れが多く居住していそうな関東ローカルの地名や量販店の固有名詞のリアリティ、その割りにいつ起こった事件なのかという時間性が欠如している点。
文章の締めが「子供のいる友達に送って、みんなで子供を守ろう。出来るだけ広めて下さい」となっているのも気になった。チェーンメールの典型的な呼びかけだ。


ネットで調べてみると、すでにここかしこで話題になっていた。
神奈川県警のホームページにも記載されている。
http://www.police.pref.kanagawa.jp/ps/95ps/95mes/95mes002.htm


どうも9月の中旬(14日から18日にかけて)に一斉に出回りだしたメールらしい。
それが2週間ほどで関西地方にまで伝播してきたわけだ。
そのうち、TVのワイドショーとかも取り上げるんじゃないかな。
そう思えるほど、子を持つ親のあいだであっというまに広まったようだ。


このメール、ストーリーの内容はグロテスクな都市伝説的エピソードで、なおかつチェーンメールになっているところが新機軸といえばそのとおり。
実際、私もこれを読んで厭な気分になった。
つまりは頭から離れなくなったので、この手のチェーンメール、ウワサ、デマゴーグの類いについて、ちょっと考えてみた。

たしかに実質的な被害はないようにみえるかもしれないけれど、ネット時代になって、なかにはこれを利用したワンクリック詐欺やウィルス汚染の恐れもあるようだ。


それにしても、なぜこんなものが出回るのか?
昔から「不幸の手紙」の類いはあって、それが何を目的としているのかは、論文一本書けるくらい奥の深いアプローチが必要となる話ではある。
回覧させることそれ自体(このメッセージがねずみ算的に増大して出回ること)に快感を覚える人間がいるのかもしれない。
デマってものの存在の根源に行き着く話だ。


回覧を促進させるために、逆らいにくい事柄を使うのはこの手のチェーンメールの常套手段。
「不幸になる」「幸福になる」「子供が危ない目に遭う」等々といわれれば、人間誰しも少しは不安になる。
だから回覧に出せば済むというなら(今回のは、それが他の保護者の役に立つのなら、という「善行」の隠れ蓑を着てるわけだが)、という気持ちで、皆、メールや手紙を次の何人かに回す。
善意でそうしているひとたちを、罪に加担していると糾弾するのはたやすいが、世の中そんなにすっきり割りきれるものじゃない。
ただ、人間の心理の弱いところを突いてくるという点で、この手のものを仕掛けてくる発信者には、少なからず邪悪なものを感じる。


これに踊らされるということは、関東大震災のときの根も葉もないデマを真に受けるのにもどこか通じていると思うのだ。
だからといって非難はしづらい。みんな善意でやってるんだから。そこが難しく、悩ましいところ。


このメールを巡っては、「チェーンメールとわかって一安心だけれど、内容の真偽は別として、なんにせよ、子供のことを気にしてあげるのは良いことなのでは」的な論調(というほど大袈裟でもないか)のも目につく。
ただそれも、チェーンメール犯の思う壺だろうという気がする。


それにしても、いったいなぜこんなデマを流すのか。
仮説のひとつ。
物語を作りたいという欲求に根ざしているのでは?


ノンフィクション作家・与那原恵の著書『物語の海、揺れる島』に、そういう話が出てくる。
なかでも、神戸の震災が起きたとき、強姦被害にあった女性が少なからずいて、そのひとたちから相談を受けたという話を流布させていた女性の話は強烈に印象に残る。


物語なんて煎じ詰めれば「嘘八百」だ。
ただ、それが上等なものならば、作品と呼ばれる。
だが出自を明かせないような内容のものなら嘘っぱなし。
ただし、広まることに成功すれば、ウワサになり、都市伝説になる。
とにかく、そういう物語を作り出すことで世の中とコミットしている人間がいるのだろう。


深い考察に至れず、失礼。
覚書的なアップになって申し訳ないが、今日はとりあへずここまで。





物語の海、揺れる島