●突然に始まる歌がある


寺尾紗穂@南堀江knave。


“le piano appeal”というピアニスト、ピアノ弾き語りシンガーばかりを集めたイベントで、シリーズの10回目のようだ。
5組の出演者のうちのひとりで、夜9時から35分間ほどのステージだった。


演奏された曲をうろ覚えで記しておくと……。

  1. ねえ、彗星 (『御身』)
  2. 猫まちがい (〃)
  3. ペッパ&ソルト (〃)
  4. (新曲。虹が出てくる。タイトル聞き漏らした)
  5. 口の角 (新曲)
  6. ある絵描きの歌 (『愛し、日々』)
  7. 反骨の人 (〃)
  8. さよならの歌 (『御身』)


歌うにあたってこのひとは、ほとんど緊張というものを感じていないようにみえる。
スタジオライブに来てもらったときもそうだった。
そうして、いきなり弾き始める。歌い始める。


大阪には釜ヶ崎という場所がありますが東京には山谷という土地がありまして、
日雇い労働者のひとたちが多く暮らしている街で、
大学のときにそこへ行くことがあってそこで出合ったおじさん……
現場の仕事はもう辞めて生活保護を受けているという絵を描くおじさんと知り合ったことからできた曲です「ある絵描きの歌」
ーーと話す声には微かにふるえが混じっていたように感じた。


感じたのだが、そう紹介して歌い出すときに、このひとは間合いも取らないし、ひと呼吸置くこともない。


より劇的に曲を聴かせる効果みたいなことを考えると、聴く側に構えるヒマも与えないというのは、ちょっと損をしているんじゃないかという気がしないでもない。
心の準備をするというか、そういう時間があったほうが聴き手も曲の世界に入りこみやすいだろうし、ピアノの前に座ったシンガーが、すうっと息を吸い込んでから鍵盤を叩き、歌を始めていくほうが絵になるみたいなところはあるから。




けれどもともかくなんであれ、その手のステロタイプを超えて、寺尾紗穂の歌は、あまりに飾らずに始まってしまう。


シャボン玉、ひとさし指にまつわる記憶、どこかへ行ってしまった猫、どこかへ行ってしまったひと、壊された古い家……。




歌の世界の中身は、日常の出来事から夢幻の想いまで。でもそれはごく自然な感情だ。
ただ、このひとの声と超絶なまでに歌と一体化したピアノの音は明らかに特別なものなので、曲が始まるたびにそれが、ふいに目の前に姿を現すことになる。その「ふいに」が繰り返されるとだんだん麻痺してくるのだ。
なんというか、「特別にふつうなもの」(あるいは「ふつうに特別なもの」)が、ずうっと続くこの感じ。
この感覚って、日々を過ごすうえで、けっこう頼りになる心棒みたいなものになってくる気がする。




2曲披露された新曲のうちのひとつ、「ひとの身体のなかでもあまり言及されることのない部位ですがこのタイトルしかないと思ってつけました」と紹介された「口の角」。
さびしいのは知ってるけどそういうときは口の角を無理にでもぎゅっと上げてみたら、そんな風に呼びかける歌。
このひとのなかのポジティブでユーモラスな面が出ている佳曲だった。




ステージのあと、廊下で少し話を訊くことができた。
たぶんこの歌も含まれる(のかな?)、新譜も春頃までには聴くことができそうだ。
その前、2月には並行してやっているバンド、Thousands Birdies' Legsのアルバムも出るとのこと。


もし、関東でこれを読んでいる人がいたら、今月末の渋谷でのワンマンには足を運んでみるべし。
10月29日の月曜日、渋谷クラブクアトロ
秋の夜長に、長尺で寺尾紗穂ワールドに浸れるなんてな、羨ましいかぎり。






寺尾紗穂 / 御身ONMI [CD]  愛し、日々[CD] / 寺尾紗穂