●彼女の雄弁でクールな背中


去年から気になっていた安室奈美恵のライブ。初めて観た。
《namie amuro PLAY tour 2007-2008》@グランキューブ大阪メインホール。


オープニングの数曲から、かなりコワモテというか、キツめのリズムのトラックを続けてくる。
大衆におもねる感じはない。
かといって、観客を置き去りにするようなことをやって先進性を誇ろうとしているというわけでもない。
とにかく格好いいダンストラックを、実演込みで次々と披露していく感じ。


途中、メロディアスな楽曲がもっと挟まれるのかなと思っていたが、いやいや、かなりかっ飛ばしてくれた。
曲のエンディングが〈ダーンダーンダーン、ピンスポ、暗転〉ばかりというのは、やや単調だし、歌のヴォリューム/声量に少々不満の残るパートはある。
しかし20曲以上、ほとんど踊り倒しである。
それでも息ひとつ乱さないというのは驚異である。


余談だが、近頃の洋楽R&B, Hip-Hopものにはリズムの開発に熱心なあまり、袋小路に入っているようなものも多いと思う。
なんちゅうか、それ、ほんまにカッコええか? 珍奇なだけなんやないのん? みたいなものもあると、正直思うのだ。
けどまあそれは、音楽界というよりはむしろ、ファッション界に近い特性を持つジャンルだけに仕方がないことなのかとも思う。
「流行」や「最新のモード」というのがある種、絶対の価値を持つ世界。
それはそれでクールなことだし大いに追求していただければよい。
しかしモードの追求という行為がエクスキューズになったら、それはもうクールではない。


「どう見えるか知らないけど、これは最新モードなんだからね、カッコよく見えないとしたら、あなたの目のほうがおかしいのよ」と無理くり言っているように受け取られたら、その表現や言説は早晩、力を失っていく。
その辺の事情は、ファッションでも音楽でも思想でも一緒である。
エクスキューズせずにモードをまとうには、やはり相応の着想、あるいは鍛錬(またはその両方)が必要なのだ。
それは普遍性を持ったメロディーであったり、本質を突く鋭い詞であったり、卓越した演奏だったり、俗世を超えた声だったり、よくしなる筋肉だったり、ひとの目を奪う動きだったりするのだろう。
そうなれば、たぶん、モードのほうが寄り添ってくるのだ。


その点、安室奈美恵の背中は強烈にクールである。


ステージの中央でステップを刻んでターンを決め、くるりと後ろを向く。
肩を出したワンピースから見える、余分な贅肉の微塵もない背中。
その背中が雄弁なのである。
その手前まででかなり説得されつつあった気分が、一気に駄目押しされるみたいな感じ。


背中がなにかを語るのは、なにもオヤジばかりではないのだ(と、オヤジは思うのである)。


誠実な表現者というものにジャンルは関係ないな。
自分が良いと思うものを一心に追求してカタチにする作業に垣根はないのだ。


最後に余計なお世話かもしれないが、小室哲哉が作った曲は彼女にはもう必要ないのでは?
ファンサービスという面もあるのかもしれないし、あのアカペラは自分へのトライアルかもしれない。
だが、出だしの数行で、マーケティング発想で造られた歌詞・サウンドの脆弱さが顕わになっている気がしてしまった。
新しい祝福の歌を。切に。




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