●あー誰にも故郷はある、か?


「HOME」アンジェラ・アキ、「Home」清水翔太、「フルサト」ONE DRAFT……。
ふるさと、故郷のことを歌うひとが、かくも増えているのにはなにか理由があるのだろうか。
21世紀のいま、「ふるさと」という言葉遣いがこれほどポピュラリティを得るというのは、ちょっと不思議な気がする。


風俗史をふりかえると、シューベルツが「風」のなかで「人は誰もふるさとを振り返る」と歌ったのが1969年。
山口洋子が詞を書き、五木ひろしが歌った「ふるさと」(featuring「ちりとてちん」)がヒットしたのは1973年。
高度成長期のピーク、そしてオイルショックに端を発する退潮期のとばぐちでも「ふるさと」なる言い方は用いられていたのだ。


だが、70年代後半のニューミュージックの隆盛にともない、ポップスの世界ではドメスティックなものはことごとく嫌われた。
「ふるさと」なんて口にするのもはばかられる雰囲気だった。
88年に竹下登の口から発せられた、「ふるさと創生」という悪い冗談みたいな使われ方はあったものの、00年代前半までは、まあ、ほぼ死語に近い状態だった。
寡聞にして知らなかったのだが、モーニング娘。の初期の曲にも「ふるさと」というシングルがあったらしい。
だがその曲は売れなかった(彼女たちがブレイクするのは、その次の曲「LOVEマシーン」)。
つまり、さしもの名伯楽をもってしても結果を伴わなかったとするなら、1999年のその時点では「ふるさと」は“in”な言葉ではなかったわけだ。


そのあいだ、長らく鳴りを潜めていた単語「ふるさと」がここにきて多用されている。
なぜか。


現代ニッポンではあらゆる共同体が瓦解する方向に向かっている。
そのゆえに、失われゆくものへの哀惜の念が高じて皆に「ふるさと」と歌わせているのか。
保守回帰の流れのひとつといえば簡単だが、それだけだろうか。


そういえば、ティンパン、ユーミンらのシティポップに源流を持つはずのニューミュージックが、あっというまに陳腐なオシャレ歌謡として取り込まれ変換されていったあとの状況と似ていないこともない。
70年代終盤のニューミュージック界は、北海道、仙台、福岡、鹿児島等々、それぞれの土着性を看板にするシンガー=ソングライターでいっぱいだった。ほとんど物産展である。
いまは、R&B系のサウンドに「ふるさと云々」の歌詞、いや、リリックが載っかる。
歌い手は、帰国子女だったりハーフだったりクォーターだったりする。
そのあたり、ひとひねりしたグローバルなドメスティックというわけか。
って、言っててワケわからんね。
世界的規模で家族主義的?(あ、わかるか)


「さくら」の次はコレってことなのかもしれないが、まあ歩留まりは「さくらソング」ほど高くない。
それでも、まだしばらくは「ふるさとソング」がリリースされつづけるだろう。
しばらく行方を見守ることにして。