●桜戦線2008に思ふことなど


エレファントカシマシの新曲がいい。
タイトルを「桜の花、舞い上がる道を」という。


その名のとおり“さくらソング”ではあるのだが、「舞い散る」でも「降りしきる」でもなく、「舞い上がる」というところに宮本浩次ならではの真骨頂を見る思いがする。
あの男がこう歌うと、まるで樹齢百年になんなんとする桜の巨木を根元からひっこぬいて振り回してるくらいの強烈な印象を受けるのだ。
このくらいのパワーがないと、いまさら桜の歌を発表する意味なんてないのかもしれない。


それにしても思うのは、力のあるボーカリストを擁するバンドが“歌モノ”を本気でやると、ほんとうに凄いことになるのだなあということ。
基本的に“歌モノ”というのは、インストバンドだったりクラブ系だったりして本来ボーカルをフィーチャーすることの少ないジャンルのアーティストやグループが、ボーカル主体のトラックを発表するときの便宜上の定義だったりはした。
したのだが、まあ、流通する音楽ジャンルの広がりも受けてのことだろう、ボーカルのメロディが際立つものをさらに強めてそう呼んだりすることも増えてきた。
というあたりの事情から、プロデューサーのなかにも、いわゆる“歌モノ”が得意な方、みたいな呼ばれ方をするひともいて。
それはご当人にとっては、あるいは心外な(オレは/ワタシは、もっと守備範囲広いぜ、とか)思いをするひともいるかもしれないが、でもまあ栄誉なことでもあるわけで。


その“歌モノ”系Prd.の代表選手のひとり、亀田誠治を迎えての今作は、やはり凄いなと。
前の前のシングル「俺たちの明日」がYANAGIMANのプロデュースによるもので、ある種、そこから“ボーカリスト宮本浩次がむっくりと目覚めたような感があるのだが、その目覚めがさらに進み、なんだか瞳孔開き切ってるみたいなことになってる。


並みのバンドが、目先を転じるために曲だけメロディアスなものにして、そーれ“歌モノ”でござい、と言ってみても、凡庸な歌い手ではいかんせん起爆力は低い。
そこへいくと、卓抜なるボーカリストがいるバンドだとコトは全然違ってくるわけだ。
もちろんPrd.と肌が合うとか合わないとか、バンドのバイオリズムとかタイミングの問題とかも大きいわけだが。


抜群のボーカリストを擁するバンド(いますよね、大阪出身の4人組の、20年近くやってるあのバンドとか)の関係者の皆さん、前向きに考えてみては?(って、そんなもんとっくに考えてると思うけど)






桜の花、舞い上がる道を(初回盤B)(DVD付)