●歩いても歩いても、辿り着かない間に合わない


是枝裕和監督の新作『歩いても 歩いても』を試写観。
傑作。
静かに激しく、深いところを揺さぶられた。


向田邦子ワールドを思わせる、いまの日本のテレビ界からは消え失せてしまった上質な「家庭劇」を観た気がする。
話としては小津の「東京物語」的な普遍のテーマも漂っている。

夏の終わり、海と山にはさまれた小さな町に向かう親子3人。
ひさしぶりに実家・横山家へと向かう次男・良多(阿部寛)だが、息子・あつし(田中祥平)は妻・ゆかり(夏川結衣)の連れ子である。
いまだうち解けた関係ではなく、おとなしい彼は良多を「良ちゃん」と呼ぶ。
そして良多もまた、40歳になったいまも、優秀だった兄とたえず比べられてきた鬱屈から解かれていない。
それでも両親の家を訪ねるのは、今日がその兄の15回目の命日だから。


目を悪くして開業医を廃業した父(原田芳雄)も、また昔の家長たる立場から自由でない。
母(樹木希林)はことあるごとに、亡くなった長男のことにこだわる。
やや調子のよいところのある、屈託のない姉(YOU)だけが母と台所に立ち、料理を作り、父とも遠慮のない言葉を交わすことができる。
だが、姉一家が帰り、陽が落ちてしまうと、覆いが外されたように、それぞれの想いのバランスは平衡を欠いてーー。


次男一家が里帰りして翌朝去っていくまでの24時間を丹念に描いてある。
ちょっとしたセリフや小道具がぐっと深い意味を持つ。
「あれ、ここでこのひとがこんなに優しげな口調で話すのはなにかあるのかな」とか、
「そういうモノがここに転がってるのって、ん、どういうことだろう、このひとの普段は……」とか。
想像力を掻き立てつつ、時間が過ぎてゆく。
派手な事件などなくとも、人の目と耳を惹きつけ、集中力を投じさせることはできるのだ。


母親ってそういうところ、ある、と頷かざるを得ないほど存在感のある母親役を見事に演じきる樹木希林がとにかく凄い。
だが彼女を筆頭に、皆の演技がまた素晴らしい。


実家の阿部寛の部屋に、JOY DIVISIONCBGBのポスターが貼ってあるあたり、美術班の仕事だろうか、なんとも巧い。
強い自意識を持て余したであろう少年時代の彼を(もちろん分かる人には、だが)一瞬で理解させる。


あと、なんといっても、YOUがよかった。
演技と思えないほどに自然にふるまっているようにみえる芝居もいいが、役どころとしても蝶番的な、とても重要な役どころ。
それがわかるのは後半。
そう、彼女が不在になってからなのだ。
少々お調子者でもあるYOUファミリー(夫も、子どもたちもそういうところがある一家)が帰ってからのこの家は、サスペンションがワヤになった車みたいになっていく。
緩衝材がなくなり、それぞれの露骨な部分がほの見えてくる。


樹木希林は何気なくギョッとするようなことを口にする。
阿部寛原田芳雄も直にぶつかってしまう。
夏川結衣も気疲れを隠せなくなっていく。


ごく普通の家に、どこか魔的なものさえ漂ってくるこの感じ。
もちろんオカルトとかそんなものではない。
普通の人間が、ごく普通に備えている一面に「魔」と呼ぶほかない面があるということだ。
それが皮膚を浸みとおるように伝わってくる。


付け加えるなら、「普通/ふつう」は作品中を貫くキーワードでもある。
親の呼びかけを面倒くさげにうっちゃるときに息子が口にする「ふつう」。
驚く子の問いかけに母が口にする「ふつう」。
「ふつう」ってなんだろうと思う。
おそらく「ふつう」と「まとも」はちがうもので、だからある意味、ここではYOUだけが「まとも」なのである。
we want YOUなのである。世界はYOUを必要としているのである。


まとまりを欠いた感想になってしまったが、とにかく持っていかれる2時間。
なんともいえず高まった感情を鎮静してくれるGONTITIのギターもとてもいい。


必見。


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