●シャカリキな夜が更ける


結局、先週はブログをまったく更新しなかった。
早くも夏バテか。たしかに関西は梅雨明け宣言こそ出されていないものの、湿気はキープしつつ、30度を突破する日も多かった。
あるいは物理的なハードスケジュールが過ぎたことでやや気抜けしていたせいか。それも認める。


が、なにより大きいのは、ツールが始まったせいである。
前回更新時の翌日=7/5から始まったのである。ツール・ド・フランス2008。


このレースを気にするようになって日の浅い私に語れるようなことはなにもないのだが、興奮にはしっかり巻き込まれている。
意識して見始めた最初の年は4年前、2005年。
それはこの年を最後に引退すると宣言していたランス・アームストロングが、周到な走りでタイムをキープし、その言葉どおり、7連覇を達成した年だった。
アームストロングがいかに偉大な選手であるかということは、この夏を通してようくわかった。
ただレース自体は、ロビー・マキュアンのスプリントや、ミカエル・ラスムッセンの山岳アタックに興奮をおぼえるも、素人には面白さのわかりにくい年だったように思う。


翌2006年。
アームストロングの跡を継ぐ、次代の覇者は誰かと注目された年。
だが大会開始前日に、有力選手のヤン・ウルリッヒイヴァン・バッソ薬物疑惑で出場差し止め。
優勝したはずのフロイド・ランディスもドーピング検査にひっかかり、タイトル剥奪。
(1年以上たってから、2位だったオスカル・ペレイロの繰り上げ優勝が確定)


去年、2007年。
今度は優勝候補の最右翼アレクサンドル・ヴィノクロフが、ドーピング疑惑によりツアーの後半で事実上追放。
終盤、トップを走っていたラスムッセンがドーピング検査回避を理由に所属チームから解雇、レース脱退。
結果、アルベルト・コンタドールが24歳の若さで初優勝。


と、まあドーピングと無縁だった年はなく、この競技が抱える闇の部分を横目で見ながらの観戦だった。
正直なところ、去年はラスムッセンが解雇された第17ステージで、興味が失せたのは事実。
おまけに今年も前年優勝のコンタドールが出場できないという、なんとも残念な幕開きではある。
ツール・ド・フランスの主催団体ASO(フランスのスポーツ・メディア・グループ)と、UCI国際自動車競技連合。欧米の自転車競技団体が合同して設立)とが主導権争いを演じていて、その煽りということらしいが、なんだかな。


それでも無心で見てみれば、面白いのである。
毎回がマラソン中継を見ているような(それが3週間のあいだに21回あると思ってもらいたい)、見るひとがみれば単調に思えるかもしれないこのレースが、すでに自然に面白くて仕方がないと思えるようになっている。


サウニエルデュバル、エウスカルテル、ケーセデパーニュ、ゲロルシュタイナー、アレハンドロバルベルデ、アンディシュレク、ルイスレオンサンチェス、マークカベンデッシュ、リカルドリッコ……。
呪文のようなチーム名と選手名。
この手の名前をつっかえずに言えるようになった。
やたらとド派手な色彩であのピタッとしたレースパンツ姿と、宇宙人的なヘルメットにも違和感がなくなった。
これを称してひとはハマるというのかもしれない。


今日はピレネー山脈突入最初の本格的な山岳ステージ。
リカルド・リッコが驚異のヒルクライムでめちゃめちゃカッコいい勝利を収めた。
このところ、こういう勝ち方には絶えずドーピングの疑いがかかるのだが、これは無縁であってほしい。


そういえば、2年前のピレネー初ステージはファンミゲール・メルカドが勝っていた。
その翌日、東京へ出張で行く朝に、清志郎喉頭がんと診断されたという報道が流れたんだった。


たぶん、普段ブログを書いていた時間を、そっくりそのままツール観戦に費やしているような気がする。
書き留めておきたいことや、報告したいことがないわけではないのです。
けどこの感じ、最終日の27日までつづくかなあ。


夏フェスもいいけど、ツールもね。