●「お笑い」と「お政治」


基本的にテレビを見ない(地上波は特に)生活なので、昨今のお笑いの事情にとんと疎い。
自分でも単に疎遠になっているだけだと思っていたのだけれど、内田樹氏のこのエントリーを読んで思い当たるふしがあった。


http://blog.tatsuru.com/2008/07/12_2204.php


なんかね、島田某とかが幅を利かせるようになってから、こういう傾向は特に顕著だと思う。
関西では、やしき某も同じ意味合いを持っている。
彼らのなにが鼻につくのか、ろくに検証したことはなかったが、その政治的なふるまいに辟易としているというのは確かに大きい。


最近の松本人志にあまり興味が持てないのも(『大日本人』はなにかと興味深かったけれども)、若手芸人を相手に振るまうときの態度にどこか釈然としないものを感じるせいかもしれない。


芸人の世界にある序列のことは昔っからわかっているけれど、それをネタにすることには、少々はばかられる雰囲気があったんじゃなかったっけ。
楽屋オチ、内輪ネタというのは決して賞賛の言葉ではなかったはずなんだけど。
その辺を共通認識にして笑いをとっていくという世の流れは、なんとなく「空気を読める/読めない」という貧しい二分法にも通じている気がする。


やはり自分には、“めくばせとささやきが支配しているような場所”はしんどくて仕方がない。
それは別のことで最近感じたことなのだが、こと、笑いに関してもつくづくそう思う。


「自分をメンバーにするようなクラブには入りたくない」というグーチョ・マルクスの言葉が懐かしい。
もっと衝動的に、爆発的になにかを笑い飛ばすものが見てみたい。




空飛ぶモンティ・パイソン 第1シリーズ  モンティ・パイソン大全 (映画秘宝コレクション)