●「ぼくの家はここにあった」


http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=9553


原爆を落とされたヒロシマ
その爆心地ーーのちに原爆ドームと呼ばれるようになる産業奨励館と、その東にのびる町。猿楽町と細工町。
商家の建ち並ぶ猿楽町は、その名の由来を能楽に持つ。
すぐ隣の細工町は能の衣装屋や和楽器の細工師たちが住んでいたという。
城下町の面影をよく伝える、活気がありながら品のある、しっとりとした街並みだった。


その街並みを、奨励館の東隣(猿楽町)に生家があった映像ジャーナリスト・田邊雅章がコンピュータ・グラフィクスを使って復元した映像が、この本に添えられたDVDの白眉である。


家の一軒一軒をその内部に至るまで再現している、その手仕事の緻密さにまず驚く。
その頃、日本中のどこにでもあったであろう、端正で、美しい、木造家屋の町家たちが見事に描き出されるのだ。


ただ、あまりに生々しくなることを避けたのであろう、この映像に人は出てこない。
人影も映らない。
寡黙ながら雄弁なCG映像と、夏の一日を思わせる音だけが配されている。
この音の効果が素晴らしい。


当時、この界隈にたえず響いていたという謡曲の調べ、広島弁の話し声。
井戸水をくみ上げる釣瓶、打ち水、金魚売り、あさり売り、路面電車、廊下を走る足音。
それから、ラジオの臨時ニュース、飛来するB29のエンジン音。


眩しい夏の音に満ちた、誰の姿も見えない街。
その街が、数日後、数時間後、数分後に辿ることになる苛烈な運命を思うと、胸が塞がれる。
同時に、いまでは大きな平和記念公園になっているこの土地が、生き生きとした人の住まう場所だったということに、いままで一度も思いの至らなかった自らの不明を情けなく思う。


観ている側が、頭のなかでおぎない、組み立てなければならないことがたくさんある。
それでも乏しい知識と経験しか持たない私のような人間は、これを見るのと見ないのとでは、63年前の夏の出来事を想像するのにずいぶん違いが出てくるような気がする。


8月6日の前でも後でもかまわない。
機会があれば、ご覧になられることを願う。


再現CG・DVDブック ぼくの家はここにあった 爆心地~ヒロシマの記録~ 〔DVD付〕 (アサヒDVDブック)