●たんじょうびのおもいで


本日もなかなか雑然とした一日だった。
朝5時過ぎまで仕事がこぼれたが、ちびたちが起き出す前になんとか帰宅。
仮眠ののち、きゃつらの朝飯を作らんとして起床。
昼過ぎに実家へちびたちを連れていき、わあわあ遊ぶ。
夕方は、ライブ現場に。
そののち、局に行き、日がめくれる前に明日のインタビュー取材の台本を仕上げ、日がめくれてからは別番組の構成資料を整える。
未明4時前に局を出て帰宅。


少々ハードではあるが、別に特別なわけでもない時間割の日。
またひとつ歳を取った。


誕生日の記憶で覚えているのは、たとえばハタチの年。
日曜の午後、ぼんやりとひとりでテレビを観ていたら、「スーパージョッキー」で皆が「殿! おめでとうございます!」と言って、たけしに花束を渡している。
「殿、40歳になられて……」とかなんとか言っている。
それを見ていて、あ、そうか。俺、20になったんだ、と気付いた。


そうなのだ、ささやかな自慢だが、私はビートたけしと同じ日の生まれなのである。
ちょうど20年、歳が違うのである。
ついでにいうと、この日はなかなか強力な巡り合わせの日で、ビートたけしとも笑福亭鶴光ともおすぎとも……ということは必然的に、ピーコとも同じ誕生日になるのである。
ついでにいうなら、モンテスキューともドゥルーズとも同じで、宮武外骨とも石原完爾とも同じというけっこう難儀な星の下でもある。
ケーリー・グラントダニー・ケイ片桐はいりという役者の星と、小椋佳、森山良子、宮沢和史というシンガー=ソングライターの星とも重なっている。


とはいえ、こういう「同じ誕生日の有名人」をハントして喜んでるのもまあ中高生くらいのときまでである。
あとはもう自分の誕生日なんてものは基本、意識にのぼらない。
Running on Emptyな20代の頃は特にそうだった。


26になったときは、エジプトでルクソールからカイロに向かう夜行列車のなかにいた。
28になったのは震災の翌日で、SUZUKIの200CCのオフロード車にまたがって、凍結した比叡山を越えているときだった。
どちらも次の日になってから誕生日を過ぎたことに気付いた。


30を過ぎていくらかした頃からは家族が教えてくれるようになったが、それでもスケジュールに余裕がなくなると、まあこんなもんである。
1時間半寝て、16時間半働いて、明け方にひとりで焼酎あおってるとか、そういうことになる。
そんなもんだが、それでも今日観たライブ−−安藤裕子中之島大阪市中央公会堂−−がとても良かったのと、未明に至ったがなんとかふたつの締め切りをクリアできたので気分は悪くない。
バカボンパパより年上となった身には、それで充分なのである。