●借りを作るのもわるくない


朝から雨。
ちびたちを保育園に送るのに、自転車で行くのが難しい程度には降っている。
こういうときは、近くにある大きな病院を目指す。
玄関口に行くと、いつもタクシーが客待ちをしているので、便乗させてもらうのである。


今日も病院のへりをまわってーーここを通ると、ほとんど雨に濡れずに済むーーするりと車寄せのあるファサードへ。
まったく待たずに乗ることができた。
ちび1号、2号の順に奥に詰めさせて、最後に自分が乗り込む。


「すみません、近いんですけど、○○○の方まで行って、またこの辺まで戻ってもらえますか」
「はいはい」
運転手は、大柄だがひとの好さそうな50がらみのおじさんだった。
「大変ですな。いつもこういうスケジュール?」
「え。ええまあ」
ちび1号にも声をかけてくれる。
「ほうか。おかあさん、入院してるんか」
ん? と怪訝な表情を浮かべるちび1号。さえぎって、俺。
「いえええ」
普段ならほいほいと適当に受け流すところだが、ちびの手前、無用な嘘もつけない。
「えー、ちがうんですけど……今日は、たまたまで」
「そう。でもエラいな、ボク。おとなしなあ。エラいなあ」


病気がちな妻と年端のいかない子供たちを抱えて、途方に暮れる寸前の中年男に見えたのだろうか。
良くいって、「トトロ」に出てくる姉妹のお父さんみたいな。
少々後ろめたい。
しかし、子供連れのおっさんは、この種の親切にずいぶんと助けられている。
ひとりなら大したことのない雨量であっても、幼児を連れた人間は、かくも少量の雨で容易に無力な存在となるのだ。


なので、こういうこともできるようにはなった。
つまり、ひとの厚意を、甘んじて/有り難く、受けること。
いうなれば、世の中に借りを作ること。
そういうことができるようになった。せざるを得ないようになった。
成長なのか堕落なのかは知らないが、ずっとひとりだったらこうはいかない。
借りを作るのもわるくない。
「子供が無事に育つのを手伝うこと」、その務めを果たすことを担保に借り受けていられる融資みたいなもん。
それが、その厚意一般だと思うのは穿ちすぎかもしれないが。


……てなことを考えていると、タクシーは園に着いた。息子はさっさと傘を差し、すたすたと歩いていく。
子供が育ってしまえば、世の中と自分との接点はどうなるのだろう。
二十代のときに付け損ねた世の中との折り合いを、回復できるかどうかが試されている。
それが、この四十代という時期である。
という気がちょっとする。


そんなことを心配しているのがすでに、大人になり損ねている証拠だというのは百も承知で。