●大阪二律背反ブルース


古い友人が東京より一時帰阪。
晩飯でも食わないか、ということでミナミへ。


夕焼けが綺麗である。


大阪もひさしぶりだろうから、いっそベタに“That's 浪花”な場所を、ということで戎橋の南のたもとで待ち合わせた。
TSUTAYAで落ち合い、道頓堀を東へ。


途中、こんな風景に出食わす。

そうだった、この「道頓堀極楽商店街」って閉まるんだっけな。
見てみると、今日でおしまいとのこと。


一度も入場したことはなかったので、この際だからと入ってみることに。
友人はさして興味もなさそうだったが。


2004年の7月にここが出来たとき、Meets Regionalで「あそこはどないなん?」的なミーティングが組まれていたことがあった。
ミーツの名物編集長だった江弘毅さんや、ご存命だった“アメリカ村のママ”日限さんなどなど錚々たる顔ぶれに、この極楽商店街を企画した方も参加しての前向きな討論だったと記憶しているが、あれからわずか4年と8ヶ月。
閉店にいたるには、いくつも理由があるんだろうなと思いつつ、かしみん焼きを食べる。


かしみん焼きというのは、岸和田名物の洋食焼きの一種。
かしわ(鶏肉)と牛肉のミンチを焼いてあるから、この名がついたという。
ばりっとした生地のなかの、とろっとした肉切れの食感は独特で美味。
これはたしかに病みつきになりそうな逸品である。


こういった、ほんとうに地元でしか食べられないようなものも引っ張ってきたというのはこのフードパークの功績でもあるのだろうが、前述の討論会では、そのあたりがむしろ否定的に語られていた。
そういう、“食”を帝国主義的に買い付ける姿勢みたいなものに、多くのミナミの重鎮たちは眉をひそめていたようなのだ。


最後の日に入ってみての印象だが、店内は昭和30年代あたりを意識したレトロな内装で、これはかなり本格的なものだった。
(ディズニーランドが本格的なら、という意味だが)
ALWAYS 三丁目の夕日』や『20世紀少年』が大ヒットで、ここは5年保たずに閉鎖というあたりに、なにかが潜んでいそうだけれど、それはまあいい。
思うのは、私はここをそれほど嫌いにはなれなかったということである。


大阪の現在と行く末について、多少ならず関心のある私は、前述の江さんの近著『街場の大阪論』もすぐに買った。
なにかのヒントがあるかもしれないと思ったので。
ただ、途中で止まってしまっている。
語り的な文体に癖があり、リズムがいまいち同化しないということもあるけれど、これはやはりキタの人間である俺の限界なのかとも思う。
江さんは、いってみれば岸和田原理主義者である。
わかってもらえると思うが、これは別に悪口ではない。
ただ、万事、岸和田を中心に展開される彼の論調は「大阪について語っても、梅田以北の人間については大阪に非ず」と言っているように感じられるのだ。
特に、北摂の住人などは、東京の出先植民地にすぎないと断じておられる(ように感じられる)ところも散見される。
こういう部分が喉に引っかかって、俺にはどうも飲み込みにくいのだろうな。


私は、キタといっても、洗練とはほど遠い、十三の隣町で生まれ育った。
これはなかなかアンビバレンツな出自である。
十三というのは、あのようにやさぐれた環境であっても、沿線的には阪急文化圏に分類されるのである。
だから私は岸和田の人たちのように、自らのオリジナリティやバイタリティというものをそのまま誇ることができない。
コジャレたものにコンプレックスがある。


小学生の頃は、三番街の「川の流れる街」が大好きだった。
阪急ファイブの「空のある街」の、夕刻になると天井がオレンジ色に変わるという嘘くさいギミックも大好きだった。
物心つく前に浸っていたそういう情景に抜きがたい愛着があるのだ。


これが、自意識が芽生えたあとなら、そうではない。
私が16のときに開業した、東京……浦安の某遊園施設のことはまったく好きではない。
ただ、あの壮大にインペリアリスティックな娯楽施設と、阪急村の造りものや宝塚ファミリーランドの、どのあたりがどう違うのかと問われると、まことにアンビバレントなのであって、どうも上手く説明できない。
ただ、私はこの道頓堀極楽商店街が嫌いではないなかった(ついでにいうと、悪評さくさくのクリスタ長堀もあまり嫌いにはなれない)。


「地下街なんかくそくらえ。ほんまの街文化(でも、ストリート文化でもいいけれど)があるのはこっちじゃ」というミナミのかたの言い分を聞くと、まったくそうだよなあと思う。そらそうだろう、納得納得。
とは思うものの、芦屋(及び北摂)マダムよろしく「あら、そうざますか、よろしいことですこと。ほほほ」と軽く受け流せるほど、超然ともしていられない。
なんともすっきりしない態度しか取れない。


らもさんの書いたものや、GONTITIの音楽や、サラ・イネスサラ・イイネス)や西村しのぶ(彼女は神戸だけど)のマンガにはどっかそういう引き裂かれた感じ……というとなんか文学的でカッコよすぎるな、それよりも、えーと……どっかそういう「どっちつかずな感じ」があるように思う。
そういう表現に、私は惹かれる。


僕に踏まれた町と僕が踏まれた町 (集英社文庫) Sunday Market
大阪豆ゴハン(3) (講談社漫画文庫) 誰も寝てはならぬ(10) (ワイドKC モーニング) メディックス (IKKI COMICS)