●いつだって昼も夜もわからず


(承前)
五月二日、土曜日の深夜。
ふらふらと家にたどり着き、荷物を置くと、すぐにまた外に出た。


近所のセブンイレブンに行ってビールを買った。
帰り道、道端に腰を下ろして、iPod清志郎の歌を聴きながら3缶空けていると、空に青が滲んできた。


何枚か写真を撮り、帰宅してブログに上げた。
つけるキャプションは見つからなかった。


そのままぼうっとしていると、表はみるみる明るくなっていく。
もう少ししたらそろそろ出かける支度をしなくちゃな、と思っていたら、台所のテーブルで眠ってしまったらしい。
ふっと気がついたら8時ちょうど。1時間近くが過ぎていた。
風呂に入る時間もなくなった。
実にひどい顔だが仕方がない。
急いで支度をする。
マウンテンバイクの後ろにキャリアを付け、そこに荷物をくくりつけた。
万博公園で開かれるフリーマーケットに行かなければならないのである。


50分、遅刻して会場に着いた。
4年前は、この催しがあった日の夜に父親が死んだのだった。
太陽の塔は今日もどこか遠くの方を見つめて立っていた。


いつもと違ったのは、謎の円環が太陽にかかっていたこと。


太陽の塔に太陽の環だ。


翌日、新聞に載っていた記事によると、太陽を中心に3つの環が重なる、珍しい現象だったそうだ。


ちなみに、この写真を撮った直後、愛機GR digitalは、ポンッと小さな破裂音を発して沈黙。
液晶画面もブラックアウト。レンズは出たままで戻らない。
謎の故障を起こして今に至る。


あとは夕方まで、適当に物売りの真似事をして過ごす。
知り合いが何人か訪ねてくる。話す。
仕方ない、俺はもう大人なんだから。何度も自分に言い聞かせる。
知ってるはずさ、涙なんか誰にも見せられない。
そう、清志郎に言われたのだ。
話しながら、松村雄策が書いた「一九八〇年一二月八日」というエッセイのことをしきりに思い出していた。


5時過ぎにイベントは終了。撤収し、帰途につく。
……つもりが、モノレールの駅の下の駐輪場に行くと、置いていた自転車の後輪がバーストしている。
とても走れる状態ではない。
あいにくパンクの修理セットを忘れている(10キロ以上の行程を走るときは意識して持参するのだが、こういうときに限って、何故か)。
周囲のいろんなものが壊れていくような気がする。


しかたなく、家まで自転車を押して帰ることにする。
15キロくらいだから、4時間少しで着くだろう。
こんな日にパンクで難儀な目に遭うなんて、ちょっとスローバラードみたいじゃないか。
それもひとつの妙な縁かもしれないと思ったのである。
しかし、千里丘陵を下ると、じきにあたりは暗くなった。
動きの重くなったマウンテンバイクを押して歩くのは想像以上にストレスの溜まる行為である。
タクシーを止め、前後輪をばらしてトランクに積ませてもらい、5千円払って家まで行った方が、それは楽だろう。なんどかそうしようとも思った。
けれど、運転手と会話することを思うと、ためらわれた。
もう昼間喋れるだけは喋った。もう、いいだろう。
これ以上社交的な会話を交わすには精神がガス欠だ。まるで大人じゃない言い草だけれど。


幸い、そこで大きなサイクルショップに出くわした。
修理コーナーに居た兄ちゃんは、私のMTBを見るなり言った。
「こりゃダメですね。チューブもタイヤも替えましょう」
こちらが黙っていても、てきぱきと続ける。
「26の1.5ですよね。じゃあ、あそこの棚にかけてあるタイヤから好きなの選んできてもらえますか」
うなずいて棚へ向かう。
いちばん地味な配色の黒のスリックタイヤを選んで、さっきの兄ちゃんに渡す。
「じゃ、椅子にかけてお待ちください。できたら呼びますんで」
店のなかに置かれたベンチで、私は少し眠ってしまったらしい。
草食動物のように小刻みに眠る癖がついたのか。
そういうふうにしか眠れないのか。


修理は、30分もかからずに終わった。
快活な青年の対応はとても気持ちがよかった。
礼を言って金を払い、夜の街道を走り出すと、いくらか現実感が戻ってきた。
家に着いたのは夜の8時半。


しばらくすると、実家に行っていた家族が帰ってきた。
小さな児がいると、こういうとき助かるんだなとつくづく思う。
無心に相手をしていると時間が過ぎる。
遊んでやっているのか遊んでもらっているのかわからない。


   *   *   *


やがて家族たちが寝入り、日付が変わった頃、表に出る。
うつらうつらとはしたものの丸一日半、寝ていない。
今日はそこそこの距離、往復30キロを自転車で走った。
いいかげん、身体は疲れていると思う。腕や腿は少々張っているようにも思える。
それでも、眠れない。
頭の奥が、しびれたように熱を持っていて、落ち着かないのだ。


また、きのうと同じコンビニに行った。
ビールを買い、近くの公園に向かう。
芝生が植えられた丘の上に、ベンチを兼ねた大きなオブジェのようなものがある。
そこによじ登って寝転がった。


iPod清志郎の歌を聴く。
こうやって、感情にかぶせていた蓋を、ずりずりと開けているんだと思う。




「あふれる熱い涙」と「まぼろし」がつづけて流れた。


ずっと目を閉じて聴きつづけた。


気がつくと、いつのまにかまた、東の空が明るくなっていた。


   *   *   *


それからは毎日、こういうサイクルが続いている。
昼のあいだ抑えているものを、夜中になってから酒の力を借りて解放して、明け方になって眠る。
そういうサイクル。
軽い抑鬱症とアルコール依存のとば口に立っているような気もする。
中学生の頃、夜中にベランダに出てラジオを聴いていた頃と、なにもやっていることは変わってない、そんな気もする。
どっちにしたって、おそらくそのうち身体のほうがまいるだろう。
そうなれば自ずと日常が修復されるだろう。
それまではこうして行かざるを得ない。