●断章


忌野清志郎をめぐるいくつかの断片。“リズム&ブルース界のバカラック”、ダン・ペン。
なんて駄洒落も、キヨシローが口にしそうなもののひとつ、だったかもしれない。


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1986年12月9日、火曜日、大阪厚生年金会館・大ホール。
RCサクセションのコンサート。
清志郎の第一声は、「俺はたけしを絶対応援するぜー!」だった。
同日未明、ビートたけしが−−行き過ぎた取材行為に抗議するため−−講談社の「FRIDAY」編集部に殴り込んでいたことを、私はそのMCで初めて知った。


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2004年2月27日、金曜日、大阪城ホール
《続 ナニワ・サリバン・ショー》の終演後、ホールのレストランで行われた打ち上げの席に、ふらりと中島らも氏が現れた。
今日になってから「こんなライブがあるんだ」ということを知った、なのでひとりで会場に来て、当日券を買って観た、とのこと。
「エラいもんを見せてもろた」と真顔で言いながら、清志郎さんと握手するらもさん。そこに竹中直人氏が加わって、腰を下ろして話し込んでいた。
「宝島」meets「どんぶり5656」via「かねてつ微笑家族」な光景に感動。
らもさんは、それから5ヶ月後の7月26日、52歳で亡くなる。


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三原順の『Sons』を読み返している。
このストーリーの全編に漂う、喪失感に浸っているだけだろうと言われれば頷くしかないが。
主人公ダドリー・デヴィッド・トレバーが抱く、あのどうしようもない無力感。
実の母ジニーを失い、庇護者であったフォルナーの婆ちゃんを失い、自分のなかにも存在する“弱さ”を集約して体現していたかのような従兄弟ウィリアム・ジョンソン・ジュニアを失い、マギーを狂気の彼方に失い……多くの人を失っていくなかで、何度も全力で遠くへ押しやりながら最後まで足首を捕まれつづけるネガティブな感情。ニヒリズムシニシズム、虚脱感。
それが身にそぐう感じがするのである。
手塚治虫以降のニッポンのマンガ表現における最高の収穫であると私が信じるこの作品には、何度も助けられた。
1995年、三原順が亡くなったときには、『シングル・マン』を繰り返し聴いたものだった。


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5月7日、梅田のある書店で。柴田元幸主宰の「monkey buisiness」最新号に古川日出男による村上春樹のインタビューが載っているのを見かける。
ついでに書棚の横を見たとき、村上春樹が編・訳を兼ねたカーヴァーへの追悼文集『私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー』が目に入った。
なんというか、こういうときには、すべての矢印が自分の思う方向を指しているように思えたりするものだけれど、これは強烈だった。


村上春樹が書いている、この文集の序文。
長くなるけれども引用する。

 ここに収められた九篇のエッセイは、レイモンド・カーヴァーと交際のあった人々(小説家・詩人・編集者など)が、その死後、彼についての思い出をそれぞれに綴ったものである。(中略)これら九人の人々に共通しているのは、その交際が深くても浅くても、長くても短くても、そんなことには関わりなく、レイモンド・カーヴァーという一人の男が彼らの脳裏に、あるいは心に強く鮮やかな印象を残していったということである。読んでいただければおわかりになると思うのだが、たしかにそこには書き記すべきものがあったのだ。

しかし彼の心はどうやらそれほどマッシブなものではなかったようだ。それはむしろ繊細で、優しく、傷つきやすく、個人的な夢を見るのに向いている心だった。あるいはそのような「入れ物」と「中身」の齟齬が、彼の人生を一時期、トラブルに満ちたややこしいものにしてしまったのかもしれない。
(略)
 現実生活において、レイモンド・カーヴァーはいくつもの欠点を抱えた人だったかもしれない。いろんなものごとがうまく噛み合わず、まわりにいる何人かの人々を(それも彼が愛したはずの人々を)、心ならずも傷つけることになったかもしれない。しかしレイモンド・カーヴァーは少なくとも、要領よく立ち回り、風向きを見てこまめに方針を変更し、器用に世の中を渡っていくような人ではなかった。
(略)
うまくいかないときには、彼は酒に溺れ、自らを深くいためつけることになった。破滅の暗い淵とすぐ間近に向かい合いさえした。
 しかし結局、最後にはいろんなものごとがうまくぴたりと当てはまり、人生の諸相は彼にとってこの上なく良き方向に進んでいった。しかし皮肉なことに、まさにそのときに不治の病が彼の身体を捉え、レイは心ならずもその短い人生を閉じることになった。

 レイモンド・カーヴァーが亡くなったのは、彼が五十歳のときだった。僕は彼よりちょうど十年年下なので、そのときはまだ(というか)四十歳だった。だから五十歳で死ぬというのがどんなことなのか、正直なところ、実感としてよくわからなかった。でも十年後、自分が実際に五十歳の誕生日を迎えたとき、「そうか、五十歳で死ぬというのは、本当に早すぎる死だったんだ」と痛切に悟った。カーヴァーはそのときさぞ無念だったろう、つらかっただろうと、自分の身に起こったかもしれないこととして、思いなすことができた。とくにレイモンド・カーヴァーの場合、いろんな苦しい思いをして深い森を抜け、ようやく開けた明るい場所に出て、「さあ、これからどんなことをやっていこうか」と一息ついてあたりを見回したあたりで、唐突に死の宣告を受けてしまったのだ。「どうしてこの自分が、今ここで?」と天に向かって悲痛な思いで問いかけたくなったに違いない。
 しかし彼は来たるべき死に直面しながらも、大きく泣き叫ぶこともなく、無力感に落ち込むこともなく、誰にあたることもなく、最後の最後まで机に向かって文章を推敲しながら、静かに誠実にその人生を全うしていった。

 ウィリアム・キトリッジは本書に収められたエッセイの中でこう書いている。
「レイの最良の作品は、自分がいかに狼狽しているときでも、なんとか他人に温かくまっとうでありつづけようとする試みの必要性を示唆している」
 彼は、言い換えるなら、優れた小説を書くように自らの人生を終えたのだ。
(略)
 もちろんレイモンド・カーヴァーは聖人ではない。「文学的偉人」「巨匠」という表現だって、何となくこの作家にはそぐわないような気がする。しかし彼は少なくとも腹の底から小説を書き、物語を語ることができた。そして彼はその一本の柱にしがみつくようにして、強風の季節を生き延び、その器量に相応しいところまで自らの心を膨らませていくことに成功した。そう、レイモンド・カーヴァーは、彼について語るべき何かをあとに残していくことのできる人だったのだ。


清志郎が“深く暗い森”を抜けてからの時間は、カーヴァーのそれよりも長かった。およそ3倍ほど長かった。
暗黒の時期よりも、陽の当たる場所にいた時間の方がはるかに長くなった。
それでも、私はここに多くの類似を見てしまう。
どんなときにも、彼らの根もとの部分に流れていたテンダネス。
自らの行く道を切り拓く知性と行動力。
それとイノセントでデリケートな心持ち。
などなど。


清志郎があとに残していった「彼について語るべき何か」はとてつもない。
5月9日の葬儀の日、新幹線での道中に私が持っていった本は、このカーヴァーについてのエッセイ集と『十年ゴム消し』だった。


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言ってるはじから、こりゃまるまる人の口を借りてばかりだな。
けれど、思えば清志郎が教えてくれたこと−−しかし、我が身を省みれば、まだ学んだというにはほど遠いこと−−そのひとつは、まちがいなくこういうことだった。
いわく、「人の口を借りて物を言わないこと」。


自分の頭を使って物を考えること。
日々考えつづけること。
しかし、いざ行動に移るときは直感に基づくこと。
結果、やったことに余計な説明はしない。後付けの理屈もなし。
それで誤解されたってかまわない。
だから謎は大いに残るし、受け手を考えこませることにもなる。


たぶん、男らしいとか反骨とか、そういうことではないんだと思う。
そういうこととは別に、なんというか、そういう生命体だったのだ、忌野清志郎という人は。
嘘をついたり誤魔化したりすることは、彼の命の成り立ち具合にあっては、根本的に合わない行為だったのだろう。
もちろん冗談は言うし、ほらも吹く。口真似をしてみたりもする(たとえば「愛し合ってるかい」とか)。
けれどほんとのところでは嘘はつかない。
人真似も自分のものにしてしまっていた(たとえば「デイ・ドリーム・ビリーバー」とか)。
それが結局は理にかなっていると知っていたのだ。
いや、それは合理ですらなかったかもしれない(合理的な考えをする人ではあったけれども)。
理屈ではなく、たとえば魚が肺ではなくエラでしか呼吸できないように、清志郎にはそうとしかできなかったのではないか。


だから、ニジマスが美しいように、とめどようもなく美しかったのだ。
あるいは、仲間のいない最後のニホンオオカミのように、美しかったのだ。


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たしか「君が代」のカバーバージョンをめぐる騒動の折、なにかのインタビューでこんなやりとりがあったと記憶している。


−−家族だっているのに、危ないと思いませんでしたか。
「子供がいるから、歌ったほうがいいと思ったんだよね」


文言はかなりあやふやで申し訳ないのだけれど、文意はこういうことだったと思う。
君が代」を歌うことで何らかの抗議を受けたりすることがあるかもしれない、その危険性を問う質問に、いや、子供がいるからこういうカバー曲も歌ったほうがいいんだ、清志郎はそう答えていたのだ。


反体制とかいう政治的な姿勢のことであれば、こういうことを言う人はいくらもいるのかもしれない。
だが、気負いなくこう言える人はとても少ないと思う。


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ここしばらくのあいだ考えていたのは、こんなようなこと。
ほんとうはもっといくらもあるけれど、なんとか脈絡をもって書き連ねられるのは、こんなようなこと。
書き留めておきたかったので書き出してみた。
息を深く吐くのに似た作業。


また、外が明るくなってきた。
今日も晴れるだろうか。




Do Right Man 
たけし事件―怒りと響き
今夜、すベてのバーで (講談社文庫)
Sons (1) (白泉社文庫―ムーン・ライティング・シリーズ)
私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー (村上春樹翻訳ライブラリー)
十年ゴム消し (河出文庫)