●車輪よ、あれが巴里の灯だ


この、ツール・ド・フランス観戦メモシリーズも、ところどころ歯抜けになってしまった。
それも大事なステージを外している。

  • #15 山岳アルプス初日。
  • #16 アルプス2日目。
  • #18 2度目の個人タイムトライアル。
  • #19 実質上、最後の平坦ステージ。
  • #20 最大の決戦場、Mont Ventoux/モンヴァントゥー頂上ゴール。

とほほ。
いつか時間があったら、自分なりにまとめておきたい。


でもそれはともかくとして、今夜ですべては終わりである。
強烈な……なんていうんだろう、満足感、達成感、どれもちょっとちがう……辿り着いた感とでもいおうか、そういう感慨を残して、終わっていくのである。


やはり、「全ステージをちゃんと追いながら毎日観る」という態度は大事だ。


5年前、2004年から興味をいだいて見始めたツール・ド・フランスだけれど、最初はどういう仕組みでなにがどうなって、どこが面白いのか、いまひとつよくわからなかった。
2005年、ランス・アームストロングが7連覇という大記録に挑んだ年も、あまりに盤石すぎて、素人目に熱狂できるような展開ではなかったように思う。


そのあと、2006年からはもう一歩踏み込んで、毎日の結果と流れを体感しながら観ていくように心がけていたのだけれど、ここからはドーピングの嵐がツールを襲う。
フランク・シュレックラルプ・デュエズを制したこの年、総合優勝をさらったのはフロイド・ランディス
しかし彼はレース後、ドーピング検査で陽性反応が出て、結果、勝者の地位を剥奪される。


2007年は、後半、またもドーピングにまつわる疑惑、規律違反で、ヴィノクロフラスムッセンという有力な優勝候補たちが相次いで姿を消した。
この年、私も一応、ロンドンのグランデパールから追っかけていたのだ。
第16ステージ、グレット・コルドービスクへの山頂ゴールを驚異的な脚力でコンタドールに競り勝ったラスムッセンを凄いと思っていた。
だが彼は、次の日の朝には追放されてしまっていた。
レース前、ドーピングチェックのために居場所を報告する規約に違反していたという理由で。
なんというか、ただただ小馬鹿にされたような気がして、さすがにそこで私の緊張感は切れてしまった。
もうどうでもええわい、なめさらしやがって、どいつもこいつも。好きにさらせぃ。
そのあとは観るのを止めてしまった。


だからツール・ド・フランスを、仮にも最初から最後まで見終えたのは去年が初めてのことだったのだ。
最終日、郊外からパリへ、シャンゼリゼを目指して入ってくる百数十人の選手たち。
ようやくここまで辿り着いたという感慨を、一観客(それも衛星中継を観ているだけのテレビの前の一視聴者)にすぎない人間でも相応に感じることができるのだ、ということに驚いた。


パレード走行をしているあいだも、シャンゼリゼの周回コースに入ってからも、自分の目には残像がかぶっている。
これまで経てきた3週間のあいだの、それぞれのステージでの、印象に残る場面が重なって浮かんでくる。
シャンゼリゼで次々に現れるアタッカーたちが思い起こさせてくれるところもある。
シルヴァン・シャヴァネルが、赤い彗星のごとく先頭に突っ込んでいけば、前々日の第18ステージを思い出さずにはいられない、という具合に。


皆、それぞれの戦いをやりきってフィナーレを迎えているんだなということが、これほどドラマチックに迫ってくる競技はあまりないんじゃないかな。
グランツールは、サバイバルレースではあるけれど、トーナメントではない。
その独特の形態が意味するところは実に大きい。


毎日の勝者は生まれ出るし、リーダージャージを着る者も必ずひとりいる。
けれど、それ以外の選手が負けたのかといえば、そんなことはない。
大勢が早々に決まることもあるし、総合優勝を争える選手はこのなかでも一握りだ。
だが、それでも。


足が止まらない限り、最後までわからない。
それがグランツールだ。
単なる勝ち負けにとどまらないことがあまりにも多い。
それがツール・ド・フランスなのだ。


そんなことを考えながら、型落ちのした小さなTV受像器の前で、最終ステージに臨む。
Montereau-Fault-Yonneから、Paris Champs-Élyséesへのラストステップが始まる。