●よく切れるナイフほど寡黙なものか


心臓とひと突きで刺されるようだとか、身をざくざく切られるようだとか、ギターの音を刃物とのアナロジーで語るのもいい加減どうなのかとは思う。
道義的にどうかなんてことではなく、まあ、ありふれた比喩だし。


だが、それでもやはり、鋭利な音色のギターは興奮を誘う。
模造刀みたいなものじゃなく、うかつに触れれば血の流れるような、ほんとうに危ない音を出すギタリストは少ない。
ニッポンのロックンロールの歴史が40年ばかり経とうとも、数えるほどしかいないんじゃないか。
そういうギタリストがいるバンドの持っている緊張感は、特別なものがある。
たとえバンドが長くつづかなかったとしても、それはそれだ。それは結果だ。
途中でどれだけぶっ飛べたかってことだよ。


彼らが出てくるまで、誰も想像したことがなかった。
The WhoThe KinksThe ClashやDr.Feelgoodみたいな、ストイックでルーツ志向のロックンロールバンド−−それもちょっとパンキッシュに、ガレージにイカれたやつ−−がニッポンで売れるなんて思ってなかった。
異論があるひとがいるかもしれないから、こう訂正しておこう。
不明を承知でいえば、少なくとも俺は、思ってなかった。
だからそういうのは好きなもん同士で愉しんでおくしかないんだろうな、と思っていた。
それをひっくり返してくれたのが、thee michelle gun elephantだった。


大袈裟な長ったらしいギターソロを弾かないとギタリストじゃないと、ニッポンでは90年代まで思われていたフシがある。
その既成概念を木っ端微塵に叩き壊してくれたのが、アベフトシだった。


妥協を許さない真に先鋭的なギタリストが、フロントマンとは別にいるのって、バンドにとってどういうことなんだろう。
そういうバンドが少なくなったなあ。
中身はともかく、せめてスタイルだけでもそういう態度を取ってるギタリスト、昔はけっこういたのになあ。
どっちかというと、宥和的なポジションのベーシストのほうがバンド共同体にとっては重宝がられる風潮があるなあ。
でもそういう「異物としてのギター」って、創造と破壊のためには必要なんじゃないのかな。


ここしばらくのあいだ、そんなことを考える機会が、たまたま続いた。
それだけに、突然の訃報にしばらく言葉をなくした。


いつだってこういうのは不意を突いてやってくる。
馴れることなんて、どこまでいってもない。
ロックンロールの神様は、たぶんとうの昔にどこかへ行ってしまったんだろう。
役立たずにも程がある。何もかも間違ってる。


明日からの苗場は、途轍もない雨になるんじゃないか。


   *  *  *


その活動のごく後期にしか間に合わなかった私にとって、TMGEのベストアクトは、ラストライブとなった2003年10月11日の幕張だった。
あのとき、アンコールの「世界の終わり」を弾き終えて袖に下がるとき。
大写しになったヴィジョンのなかで、アベフトシが「ありがとう」と云った。
あの笑顔はちょっと忘れられない。


純粋なプレイヤーとしてのギタリスト、その不在は、歌詞や意味というよすがを持たないだけに、なにか直接、皮膚に来るような気がする。
毛穴まで開けて聴くしかない。それしかない。


GEAR BLUES KWACKER