●Summer's gone 2009


盆のさなかというのに、それほど暑くない。
夜中など、涼しい風が吹き込んでくるくらいだった。
エアコンも一日中、必要なかった。


家族が出払っているのでひとりである。
ひさしぶりに自炊をすることにする。


鍋で米を炊く。
10分強火にかけてぐつぐつと煮たぎらせたあと、中弱火に。
米のはぜる音を聴きながら火加減をつづけて、さらに10分。
炊けた米の匂いがただよう頃、火を消す。
5分ほど蒸らして炊きあがりとする。
しめて25分かからない。電気釜より全然早い。
しかも旨い(と思える)。
手早くしゃもじで混ぜながら、お櫃に移す。


おかずは、いただいたゴーヤとサイコロ大の厚揚げ。


まずグリルに厚揚げを並べ、火にかけておく。


次にゴーヤにとりかかる。
縦に割いて、中のわたを掻き出す。
2,3ミリの薄さに切り、よく塩で揉んで洗う。


熱した中華鍋に油を入れる。
この瞬間、いつも気分が高揚する。
余談だが、食べる分にはそれほど好物というわけではないのに、チャーハンを作るのは好きだ。
それもこの瞬間が持つ意味が大きい。
中華鍋に油を流し入れる行為には、祝祭的なおもむきがある。
そのあと、鍋をゆすって炒めるのも、気分はどこか御輿をかついでいるのに近い。


内容は貧弱でもいいのである。
今日も豚肉がなかった。替わりにサラミハムをコマ切れにして入れる。
豆腐もない。
具はゴーヤとサラミだけである。
それでも不満はない。


なにしろ炒めるという行程そのものが好きなもので、気をつけないとついつい炒めすぎてしまう。
自制して、溶き卵を早めに流し込む。
火を消して、蓋をする。


まな板を流しにおいて、長ネギを大量に刻む。
10センチ四方のタッパウェアにいっぱいになる。
ショウガもまとめて擦る。


途中、中華鍋を覗き、卵がとじた状態になったのを見計らって皿にあける。
厚揚げも取り出して皿へ。


おとついから残っていた豆腐と卵のつゆは古くなっていたので捨てた。
汁ものがなくなったが、仕方ない。


塩気が効きすぎて、少々辛めのチャンプルーになった。
かえって飯はすすむ。


ひとりでメシを作り、ひとりでメシを喰う。
ひとりで茶を入れ、ひとりで飲む。
誰とも口を利かず、ずぅっと尾道の原稿のことを考えながら一日を過ごす。
ちょっと小津映画に出てくるひとりになったような気分。


   *  *  *


早くも夏が行ってしまったような、ある種の寂しさを感じる日でもあった。
少し早すぎるとは思うけれども、この感覚、嫌いではない。
こういう一日がどの夏にもある。
あとから、ああ、あの日が夏の終わりだったんだなとわかる、そういう日が。


今年は、たまたまその日のうちに気づいてしまっただけなのだと思う。
2009年の夏は今日で終わりだったのだ。