●尾道右往左往
ある紀行記事の取材で尾道へ。
いつものごとく、弾丸日帰りワンマンツアー。
朝7時すぎに新大阪を出て、9:16尾道着。
改札を出てすぐ左手にあった観光案内所で地図などもらい、水分を補給するとすぐに歩き出した。
9:30。快晴。すでにじりじりと灼けるように陽が熱い。
駅を出て左へ。
国道2号線と併走している山陽本線を、最初の踏切で渡る。
坂をのぼると右が跨線橋、左がさらに山側にのぼっていく坂。
迷わず山のほうへ向かう。
この町は、とにかく坂だという気がしていた。
すぐ小学校にぶつかった。
時計回りにぐるりとまわってみた。
嬉しいくらいに、坂、坂、坂である。
- 上段左:持光寺から光明寺のあいだ。
- 上段中:千光寺新道を逸れて、志賀直哉旧居に向かう坂。
- 上段右:たぶん尾道一有名な坂(千光寺新道)。
- 下段左:たしか光明寺のそばの坂の段。くねり具合がなんともいい。
- 下段中:光明寺から宝土寺に抜ける道にある四叉路。
- 下段右:天寧寺に下っていく坂道。
お見かけするのは年長の方が多かった。
景色に馴染んでらっしゃる、つまりは画になる。そういうことでもある。
- 左:二階井戸前の階段。
- 中:宝土寺の門で。
- 右:天寧寺前の石段を降りて、山陽本線のガードをくぐる。
山の手の界隈には、現在、100軒以上の空き家があるとも。
そんななか、空家となった古い民家をリノベーションした店や美術館が集まっているエリアがあった。
頭上に現れた天寧寺海雲塔を仰ぎ見ながら、その側面に回り込む。
横の道を北東(厳密には北?)へ。
塔越しに尾道水道を眺めたら、左に120度きびすを返して路地に入る。
タイルでデコレートされた「尾道アート館」の壁。
カフェ「梟の館」。
窓からは海までが見渡せる。
普段は日没までの営業だが、満月の夜には日没から夜明けまでの夜会が催される。
広い窓の外を左から右へと移動していく満月を眺めながら、夜を徹してワインを嗜むという、なんともスノッブな集い。
次の「観月夜会」は9月5日の土曜日。
上記の夜会は除いて、基本的に明るいうちの営業が多いこの界隈に初めてできたという夜の店、「SAKA Bar」。
残念ながら開店中に立ち寄ることはできなかった。
夜来ると、格別の雰囲気が味わえる場所だと思う。
梟の館からSAKA Barへ下ってくる坂を仰角で。
さながら緑の回廊という風情。
ふたたび海雲塔に戻り、坂下の曹洞宗天寧寺へ。
本堂からの眺め。
禅寺らしく質素な佇まいに気が休まる。
歩きに歩いて、このときすでに午後5時前。
(今回は山手側の画像ばかりを並べているが、途中、一度海側にも行った)
考えてみれば、おのみち映画資料館でビデオを観たときと、昼飯に尾道ラーメンを食べたとき(あわせて40分にも満たない)以外は歩きどおしである。
さすがにふくらはぎのあたりが張ってきた。
気を励まして、西へ。
ここからは、もうどの寺にも寄らずに、最西端の浄土寺まで急ぐ。
40分ほどで着いた。
『東京物語』で笠智衆が、東山千栄子の葬儀の朝、朝日が上るのを見ていたとおぼしき場所から尾道水道を臨む。
56年前はもちろん尾道大橋はなかったが。
浄土寺の門の前。ここも急な石段。海まで300メートルもないだろう。
浄土寺まで歩いたことで所期の目標は達した。
海岸通りを歩き、荒神堂通りの角にある「カフェやまねこ」へ。
バスペールエールでひと息。
ライブも、よくやっているらしい。
トイレには、EGO-WRAPPIN'のサインが入ったポスターが。
とはいえ、家族連れがパスタを食べに来ていたりもする気さくな雰囲気。
いいとこだった。
それから、せっかくだから刺身ぐらい食べて行こうと入ったのが海沿いの寿司屋「絲魚」。
初めて食べた穴子の造りは、透明に近い白色の身という見た目にも涼しい姿。
ぐっと噛み締める程度にしっかりとした歯ごたえとクリーミーな味でたいそう旨かった。
それと、サザエくらいの大きさのニシ貝に酢飯を詰めてつぼ焼きにしたものをアテに、ビールと地酒を一杯。
ここも地元の馴染みのひとが半分以上を占める、かといって妙に敷居が高いわけでもない、まことにいい感じの店。
ほろ酔いで尾道渡船の渡し場に行き、最後はひとり「さびしんぼう」ごっこ。
渡船に乗って、向島にでん付いて戻ってきた。
* * *
坂と路地という先の見えない通路をたどって迷走するおもしろさ。
その愉悦にあてられて、子供みたいに夢中になって歩いてしまった。
ロケ地となった場所や特定の坂というのはポイントにすぎない。
名所ポイントをめぐろうとするのでは、じきに飽きてしまうだろう。
なにもここまできて確認作業をする必要はない。
退屈を呼ぶのではなく、興奮に呼ばれたほうがいい。
三叉路や四叉路といった分岐点に出るたびに、どっちへ行くか、勘に訊いた。
別の機会に更新するが、「ネコノテパン工場」という謎の看板にも偶然出くわした。
観光スポットという点をまわるのではなく、憑かれたように歩く。
坂や路地という線がメロンのしわみたいにあちこちの地面に貼り付いて、面になった尾道という場所。
手足と五感と頭をフルに使って、全身で酔うような経験だった。
両脚をおそう執拗な筋肉痛に唸らせられたのは、翌日になってからのことである。
* * *
尾道駅を出たのは夜9時13分。
新大阪に着いたのは11時すぎ。
ついさっきまで居た土地の、目眩のするような坂の迷路と顔をなでる潮風を思い出す。
あの場所を離れてわずか2時間で、喧噪だらけの魔都、大阪堂山町界隈を歩いていることに改めて不思議な感覚をおぼえる。
『東京物語』において、尾道と東京は、実に遠くにあるふたつの場所として描かれていた。
東京からの帰途、気分が悪くなった東山千栄子は、まっすぐは尾道に帰り着けず、三男が住む街、大阪で一泊して休む。
1953年の尾道は、それほどに遠かったのである。