●南からのカゼアメヒカリ


日々のよしなし事の報告ばかりでもなんだなというか、間が持たないというか、ま、そんなこんなで考えてみた。
ふっと、余り考えずに本棚から本を一冊抜き出してみて、その本のことを書いてみる、そんな日があってもいいのではないか。
できれば30分くらいで、直感で。さっと。


ということで、我が家の微々たる写真集コーナーの端っこの、半分写真で、半分エッセイみたいになってる本が数冊、なんとなく集められてる一角にあったこの本を。


『南からの風』橋口譲二


まず、造りが面白い。
TWIN BOOKSと銘打たれてて、まさに写真集とドキュメントの2冊組になってる。
奥付は1988年11月30日第1刷。


写真家の橋口譲二が、写真集『十七歳の地図』を発表した年、1988年の初夏に沖縄を訪れたときの、写真と文章で構成されている本だ。
日本全国の十七歳をひたすら歩くというその写真集は当時かなりの話題になった。
TVのニュース番組のチームからも、写真集に登場する十七歳たちを訪ねていくシリーズを制作したいとの提案があったそうだ。
それを受けて向かった最初の取材先での様子を撮り、文章にした作品。


文庫本を横に2冊並べた大きさ、写真の紙焼きでいうところのキャビネ判。
テキストのほうは縦長に、写真集のほうは横長に使った形になっている。


収められた「沖縄の風景」がいい。
モノクロゆえ、南国の色はグラデーションのトーンの濃淡に変換されている。
だから読者は、ただ“南のくにの光”を眺めることになる。
同時にいくらかの影も。


コザ、石垣、与那国の日常を写しとった写真に、劇的な風景はこれといってない。
淡々としている。そのせいで余計にあとから効いてくるような気がする。


冒頭に、海上に沸き起こる入道雲と、大粒の雨に打たれる海面を写した2枚が置かれている。
なんというか、ただ「癒しの島」みたいにいわれる沖縄の島々の、そういう括りでは語りきれない面を見せてくれているようだ。
荒々しく、猛々しく、ちょっと怖いくらいの、そういう沖縄。


日曜日、京都音博でCoccoの唄を聴いたあと、豪雨に見舞われた。
40年生きてきたなかでもなかなか見ないくらいの大雨だった。
その記憶が残っていただけに、ひさしぶりにたまたま手に取った本の最初に、激しく海を打つ雨の写真を見つけたときは、しばらく眼が止まってしまった。
なにかそこに通じるものを見た気がした。


テキストのほうも良い。
それにしても写真家には良い文章を書くひとが多い。ほんとうに多い。
きっと物事をよく見ているからだろうな。


嘉手納基地の大きさを実感しようと、基地の周りを徒歩で一周するくだりがあって、それはとてもリアルだ。
よそ者が沖縄の基地の話を考えるときのひとつの貴重なサンプルになると思う。
よくいる基地反対派の方がたの概念的な物言いからは決して聞こえてこない声が聞こえる。


京都音博でCoccoが、最後のジュゴンの曲の前にかなり長く「オキナワ」のことについて話していた。
それもやはり基地の問題について触れたものだった。
普天間基地の移設先とされる名護市辺野古の大浦湾にジュゴンが姿を見せたというのは、最近彼女がよくしている話だけど、それに加えてこんなことを喋っていた。


昨夜、京都の鴨川のそばで基地反対というビラを配っている人を見た。
誤解を恐れずにいうなら、その人のいっていることは違うんじゃないかなと思う。
なぜなら沖縄に暮らす人のなかには基地で働いて生活の糧を得ている人も多い。
だから簡単に「基地反対」とだけ云うようなことはできないのだ、と。


それから、こういうことも。


沖縄の人は自分のなかに抱え込んじゃう人も多いから、抱え込んじゃうの得意だから沖縄の人は。
基地が移ってくるのはいやだけど、自分のとこが厭だっていっても、結局どこか他所に行くだけだ、それなら厭だといっても仕方ない、ウチに造るしかないでしょう。


そんな風に考えるんだ、と。


この本を手に取ったのは偶然……のはずだったけれど、確信が揺らぐ。
なにかしら繋がっているものがあるのかもしれない。
スピリチュアルとかそんなものじゃなく。






まったくの余談だけど、キャビネ判サイズの写真集って好きだ。
荒木経維『東京は、秋』、島尾伸三『まほちゃん』などなど。
偏愛している。








南からの風 (SWITCH LIBRARY―TWIN BOOKS)