●基本的にすべては無駄に終わる


いろいろ手を尽くしたけれど、結局はすべて無駄だった、というような話に弱い。
どうも宿命的に惹かれるところがある。


誰だったか、伊藤比呂美だったかが、ある特定のシチュエーションにグッとくるそうだという話を、山田太一が引用していたのだけれど、うん、そうだ、ちくまから出てる文庫に載ってた。

伊藤比呂美さんという詩人がいますでしょ。その人が「知死期時(ちしごどき)」という本を書いてらっしゃるんです。近松、馬琴、南北について書いてるんですが、非常に片寄った書き方なんですね。
 彼女はなぜか、本を読んでいて、女が斬られたり刺されたりして、虫の息になってるときに、好きな男がかけよって、しっかりしろとか言って抱きあげてくれて、その男の胸の中で死んでいく場面に出会うとゾクゾクするっていうんですね。近松にも馬琴にも南北にもそういうシーンがいっぱいあって、そういうのを拾い読みしているうちに近松にも詳しくなり、馬琴にも南北にも詳しくなっちゃって、一冊の本になったというんです。

   ーー『街で話した言葉』山田太一 ちくま文庫


なんの話かというとドラマの『歌姫』のこと。
いよいよ次で最終回を迎えるのだが、そのラス前、つまり先週の話の最後のくだりのことである。
太郎がもう一度海に流され、朝になって岸に打ち上げられているのを鈴に発見される。
だが今度は土佐清水での10年の記憶を失ってしまった……らしい、ことが予感される。
特攻隊だったときの記憶が甦ったか、空襲の音を幻聴に聞き絶叫する太郎と、ぽろぽろ泣く鈴、ただおろおろする鈴の父・勝男の3人を遠景で臨みながら「つづく」となった。


もともと悲恋バナシという認識で見てたから、個人的にはこういう展開は全然OK。
ただ、このシーンを見ていて、つくづく俺はこういう「すべて灰燼に帰す」的シークエンスに弱いなと実感した次第。


考えてみれば『タイタニック』(皆がいうほどひどい映画じゃないと思う。ワタシ、キャメロンサン、擁護シマース)も、『TAXI DRIVER』(デ=ニーロ&スコセッシ)も、『太陽を盗んだ男』(ジュリー&ゴジ)も、『ジョゼと虎と魚たち』も、『帰ってきたウルトラマン』(のナックル星人が出てくる回)も、『男たちの旅路/第三部・第三話「別離」』も、『羊をめぐる冒険』も、全部そうだ。基本的にすべての営為は無に帰する、みたいな話ばかり。
ま、ほんとのところは、そのうえで残るなけなしの後日談というか、すべてが無駄に終わってそれでもなお残る燃え滓みたいな(あるいは、鉱石みたいな?)ものに惹かれているのか、それはどうだかしれないが。


なんにせよ最終回、期待するぜよ。