●マジックナンバー“15”


勤め先の廊下にはVHFの地上波5局のモニターが流れている。
そこで夕方、よくある「世界のCM特集」的な企画をやっているのを見かけた。
音声はオフになっているが内容を理解するのに問題はなかった。

池のそばのグラウンドで、ひとりでサッカーをやっている9歳くらいの少年。
でもなんだかつまらない。
一計を案じて家に戻る。
パスタを茹で、赤ワインのコルクを抜き、テーブルクロスを替え、花を飾る。
仕事から帰宅した両親を、一人前の給仕よろしく迎える。
寝室の照明をムーディーな雰囲気に落として……。
それから数ヶ月、病院にやってくる少年と父親。
病室の母親を見舞う、と思いきや、母の前を通り過ぎ、ベッドサイドへ。
そこにはベビーベッドに寝かされた赤ん坊がいる。
赤ん坊の胸の上にサッカーシューズを置く少年。
彼が欲しかったのは“弟”だったのだ。
満足げにポケットからチョコレートを取り出し、椅子に深々と座り込んで、ひとくち囓る。


http://www.metacafe.com/watch/40812/nobody_to_play_with/


ノルウェーのチョコバーのCMらしい。


1分20秒くらいあるけれど、面白い。よく出来てる。
調べてみると、2002年のカンヌ国際広告祭で銅賞を取っていた作品らしい。
なるほどね。
“ターゲット”とか“ユーザ”とか、ふたことめにはマーケティング用語が口を突いて出るような環境ーー「とにかく子どもがチョコバーを欲しがってスーパーのお菓子の棚の前で駄々こねるようにすりゃいいんだ」ーーからは出てこない発想という気がする。


で、やっぱり思ってしまったのだ。
彼我の違いを。
ヨーロッパ、アメリカとニッポンの違いを。


その手の国際的な映像の場で、日本のTV CFの受けが悪いというのは数年前からよく言われていることである。
ひとつには、日本のCFの特殊事情というところもあるだろう。


日本でTV CFといえば、主流を占めているのは15秒単位のものだ。
これでは、60秒前後のものをしっかり作ってくる欧米のCMに太刀打ちできないのも無理はない。
ただ、なんで「15秒」なのかについては、ちょっと考えてみてもいいのではないか。


15秒間という短い時間のあいだに商品を告知・宣伝しようとすること。
それがいかに困難なことか。
いきおい、商品名の連呼になったりする。
連呼にならないまでも、いかに印象的に商品名を記憶してもらうか、そんな合法的サブリミナル効果を狙う場になったりする。
そこに何らかのドラマ性を湛えたりすることなど論外なのだろう。
だから見応えはなくなる。
カンヌの広告祭で賞を取るのが難しくなるのも道理である。


もちろん、賞がすべてに優先されるというわけではないのだが、作品として、表現として評価されるというのは、やはり有り難いものである。
そういう評価にも絶えうるものを作るというのは、作り手のモチベーションに訴えかけるところがあるものだから。


だったらやっぱり「15秒」という前提を疑ってみることも“あり”なのではないかと思った次第。
「受け手はそれほど辛抱強くない」から「短く完結するように」、てな理由で15秒。
どこかで聴いたような話だ。
一般にラジオの連続聴取時間は「15分」だといわれる。
だから、受け手が安心できるように、15分のあいだに知っている曲を挟むこと。
そうしないとチューニングを他に替えられたり、スイッチを切られたりする。
そんな話がまことしやかに伝わっている。
受け手の事情が、都合が「15分」だから、それに合わせる。
なるほど、一見、筋は通っているように思える。
(「とりあえず聴いてもらわないと意味がない」、それが殺し文句だ)


しかし、こちらは2時間なら2時間、3時間なら3時間の「番組」という尺で考えているわけだ、一応。
それを15分という単位で刻んでいったとき、なにが起こるか?
欧米のCMクリエイターたちが60秒、90秒の尺で完結するように作っているCMを、頭の15秒だけ見て評価したらどうなるか?
そもそも2時間通して聴く気には(そもそも60秒見る気には)とてもなれないような代物ができあがりはしないか?


作劇上、15分(乃至、15秒)のあいだに、なにかしらのフックを作り込む必要は認める。大事なことだ。
映画にしたって、冒頭からずっとつまらなくて、1時間30分のところで急に面白くなるなんてことはあまり起こりえない。それはわかる。


しかし。しかしなのだ。
その作劇上のテクニックにこだわるあまり、ここニッポンでは、小刻みになにかを詰め込んで総体としてはなんだか分からない、そんなものを量産しているだけということになっているような気がして仕方がない。
それはあたかも小粒な鵺みたいなものを作っているに過ぎないのではないだろうか。


微分だけしていても、真実には届かない。
野球やサッカーの試合を、15分刻みで微分して、得点がなかったからそこでおしまいとやったらどうなるか。
ゲームはゲームセットまでやりきって、初めて意味がある。


「15」というマジックナンバーを突破する、強力なドリブルが必要だ。
ゴールまで運び、蹴りこむものが。