●ルー・リードの『BERLIN』


シネリーブル梅田にて『Lou Reed's BERLIN』を観る。
かの名盤『BERLIN』収録曲を全曲同じ流れで演奏するというステージを収めたもの。


PUNK/NEW WAVE以降の'80年代、ルー・リード再評価の機運が高かった頃に洋楽を聴きだした人間なので、もちろんこのアルバムにも思い入れは深い。
ロックアルバムを探すときの指標にしていたROLLING STONE誌のディスクガイド本(青本)では、Lou Reed自体の評価が異様に高く(まあ、クリティック受けするタイプのひとではある。中学生にはそんなことよく分からなかったけど)、たしかこの『BERLIN』には満点の5つ星がついていたんじゃなかったっけ。


そんな外野の評価はさておいても、とにかく力のあるアルバムである。
オープニングのタイトル曲ーー場末のキャバレー的な喧噪をバックに、つんのめるように鍵盤を叩く印象的なピアノが響き、やがて聞こえてくるルーの声。「It was very nice... (一瞬の静寂)... oh, honey it was Paradise.」のくだりーーを聴くと、いつもついつい最後まで聴いてしまう、そういうアルバムだった。
50分弱。気楽な内容ではないし、音づくりもヘビーである。聞き流すようなものではない。
でも聴きたくなってしまう。
負の引力、負の美学の力が半端ではない。
ロックンロールに「美しさ」というものが伴うとしたら、きっとこういう形なんだろうな。
そう思わせるものがあった。


そんなわけで、存在を知ってからこのかた25,6年、私のなかでは「ロック史に燦然と輝く大傑作アルバム」という認知だった。
なので、売れ行きはともかく、発売当時は評論家筋からも相当叩かれた作品だったというのは意外だった。


いわれてみれば、何度か観た来日公演のときも、このなかの曲はやっていなかった。
しっかりしたコンセプトアルバムなので、そういうパーツ売りみたいなことはやらないんだろうなくらいに思っていたんだけども、本人のなかではどこか触れにくい部分もあったのかもしれない。


で、今回その収録曲が次々と演奏されていく映像を観たわけだけれども、いやあ、これが素晴らしくよい。
歌詞カードや詩集で、このアルバムのなかで歌われているおおまかな内容については知っているつもりだったけれど、認識を改めた。
歌の進み具合とシンクロして字幕に出る歌詞。
その威力がすさまじい。


劇的な構成に改めてシビれた。
ルーのトーキング・スタイルのボーカルも、語り部的なスタンスとして良く作用している。


英語圏の人間である私は、このアルバムのなかの退廃的な世界というものを、歌詞や訳詞を見て事後的に認識していたわけだけれど、しかしそんなのは、「Louのあの声で言葉を同時に受け取りながらこれらの曲を聴く」という体験に比べたら、屁みたいなものだった。
ロック界最高の詩人(Bob Dylanと並ぶツートップ)、Lou Reedのその詩は、やはりオーラルな表現だ。
口に出して歌い、語られてこそ、段違いの起爆力を持つ言葉なのだと実感した。


監督は『潜水服は蝶の夢を見る』のジュリアン・シュナーベル
映像美に長けた人らしいが、その追究に溺れるようなことはなく、演奏をしっかり追っている。
その辺もいちロックファン、いちLou Reedファンとして嬉しいところ。


気になったことは2点だけ。
インサートされるイメージ映像(ジュリアンの娘が撮ったというショートフィルム)のなかの「キャロライン」には、エマニュエル・セニエが扮しているんだけども、もうちょい線の細いタイプがよかった(ってほんとに個人的な意見)。


あとやっぱ、「背徳の愛の物語」なんて惹句がついてるんだけど、それもちょっと個人的にはどうか、と。
リリアーナ・カヴァーニの『愛の嵐』(これも公開は'73年)なんかにも通じる部分から、「頽廃」とか「禁断」なんて言葉ばかりがついてまわってるけれど、そんな手垢のついた言葉はかえって邪魔になるばかりだと思う。
ストリングスとかコーラス隊とか導入してはいるけれど、たしかにスリーコードのロックンロールではないけれど、俺はこれも紛れもないロックアルバムとして聴いてきた。
いまもそう思う。


レコードと同じく、「Sad Song」が流れてくる終盤では涙が出そうになった。
思えば夜中にこのアルバムを手に取って、ついつい一枚通して聴いてしまっては、朝になって、何度も生まれ変わったような気分になってたなあ。


http://www.loureed-berlin.jp/


Berlin: Live at St Anns Warehouse ベルリン


スコセッシの撮ったストーンズのライブムービーも気になるなあ。