●ありふれた奇跡を待つ心持ち


『流星−−』は終わったけれども、こんなしびれるニュースが。


山田太一氏、最後の連続ドラマ


基本的にテレビを見ないので予告なども知らなかった。
記者会見を報じるネットのニュースで知った次第。


なにしろ心の師である。
9歳(小学3年)の冬に見た『男たちの旅路』第1話以来、私にとっては、このひとなくして何も始まらないというくらいの存在なのである。


だが、氏の新作を、連続ドラマで見ることはもうないと思っていた。
それでもかまわない、仕方ないと思っていた。
山田さんが『シルバーシート*1や『ながらえば』*2などで示された「老い」に対する考えに感銘を受けていれば、当然そう思う。
無理をして若さを誇ったりすべきではない、少なくともそういう姿をことさらに称揚すべきではない、などなど。
しかしこのニュースを知っての正直な感想をいうと……それはもう、とても嬉しい。


仲間由紀恵加瀬亮という、意外になかったふたりの顔合わせ。
好き嫌いがけっこう分かれる仲間由紀恵だが、私は熱烈支持派(『ごくせん』てのは、まったく見ていないので)。
加瀬亮には、山田作品における、かつての小倉一郎的佇まいを感じるところもあるので非常に愉しみ。
加えて、八千草薫(!)、井川比佐志、岸部一徳松重豊といった脇の顔ぶれも存分に期待させる。


で、プロデュースは『早春スケッチブック』の中村敏夫。
倉本聰が書いてた『風のガーデン』の枠をバトンタッチ。


……と、スポーツ紙やネットの記事では、こういう流れの紹介になっている。
それはそれでよし。
けど、まあ、そのあたりの外周情報みたいなことは、実はどうでもいいのだ。
キャストがどうで、主役の職業はこうで、みたいな、いわゆる話題性は山田作品の本質には関係しない。


特に、『男たちの旅路』も『藍より青く』も『それぞれの秋』も『真夜中のあいさつ』も『岸辺のアルバム』も『早春スケッチブック』も『沿線地図』も『ふぞろいの林檎たち』も『想い出づくり』も『今朝の秋』も『ながらえば』も『獅子の時代』も『タクシーサンバ』も『シャツの店』も『丘の上の向日葵』も『家へおいでよ』も『迷路の歩き方』も『星ひとつの夜』も『本当と嘘とテキーラ』も見たことない、あと、これは小説だけれど『異人たちとの夏』も『飛ぶ夢をしばらく見ない』も『君を見上げて』も読んだことないという方へ。


今度のドラマは何をおいても見た方がいい。


山田作品の真髄は−−それはいくつもあるのだけれど−−まずひとつに、なによりその「踏み込みの深さ」にあると思う。
並みの脚本家が、素潜りでいえば、自分の身長くらいの底にデンしておしまいなところを、氏は何倍も深い海底まで掘り下げる。ジャック・マイヨールのように。
そこそこの脚本家なら、登山でいえば8合目くらいまでは来る。だが往々にしてそのあたりで引き返してしまう。
そこを氏は、さらに何分の一かにまで酸素が薄まる地点まで登っていく。ときに山頂のさらに上まで行ってしまったりする。


こんな抽象的な比喩を使っているけれど、見てみればわかる。
「え、ここで終わらないんだ? このハナシ」ということがいくらもある。
「ああ、そんなことをそんな風に言えるんだ」というセリフがいくらも出てくる。


近頃の−−って、まあロクに近頃のドラマを見てはいないのだが、それくらいはわかる−−話題性確保と番宣体制に寄っかかった近頃のドラマなんざ、百や二百、束になってもかなわないと思う。


いまから息が荒くなっている。

*1:男たちの旅路』第3部・第1話

*2:笠智衆さん主演作