●極東スーパーマーケット


内田樹さんや平川克美さんのブログで、「内向き」云々について言及されているエントリーが最近、多い。


「内向き」礼賛。
「内向き」で何か問題でも?
足元を見よ


なるほどねえ、と思っていたら、今日、こんな話を聞いた。


話してくれたのは、某レコードメーカーの洋楽レーベルの宣伝担当者。
業績があまり思わしくなく、今度、邦楽アーティストの新人を売り出すことになったという。
洋楽曲のカバーだとか、英語で歌っているとかそういうことでなく、純然たるニッポンの、いわゆるJ-POPタイプのバンドだという。
なんでまたそんなことに?


そのレコードメーカーには立派な邦楽レーベルが、すでにいくつもあるのである。
そういう新人をデビューさせるのなら、そっちから出せばいいだろうに。


それは素人考えというもので、それではその洋楽レーベルの存続には寄与しないのだそうだ。
レーベルが違うと、いまどきはもう、会社が違うようなものなんだそうである。
独立採算とか、分社化とか、いろいろ効率的な組織の組み方というものがあるのだろう。
おかげで、客からみると摩訶不思議としかいいようのない品の揃え方、売り物の並べ方が、レコード業界では蔓延しつつある。
ケーキ屋にいって、「今度うちもこういうの始めたんですよ」といちご大福を出されたら、やっぱり妙な気がすると思うのだが。


それはさておくとして、では売り上げアップを期す策として「洋菓子屋に於けるいちご大福発売」が選択される理由、それは何ぞや。
そこでマーケットサイズの話が出てきたのである。


欧米ではCDの売り上げダウンが著しい。
日本でも事態はまったく同様なのだが、それでも「着メロ・着うた」といった配信関連の伸びや、コンテンツ(CD、DVD、配信音源)の単価が諸外国よりも高いおかげで、海外のCEOたちの眼には、まだけっこう元気のあるマーケットだと映るらしい。
だから、こういう号令がかかる。
「日本市場を狙え。なりふりはかまうな」


たしかに、1億3千万近くの−−イギリスとフランスを足したよりまだ多い−−人口のいる、それも極めて均質性の高いマーケットである。
商品のプロモートをする場合、しかるべきところを打てば、それなりの確度で多数に響く。民族によって受け取り方が違うというようなことが少ない。
ぶっちゃけていえば、さっと一日、プライベートジェットに乗せてビヨンセを連れてきて、SMAPタモリの出ているテレビ番組に集中して出演させれば、売り上げを跳ね上げることができるということだ。
たとえばインドネシアは、日本の倍近い人口を有する国だが、日本と同じだけの人数に訴求するようなプロモーション効果を見込むことは、これは私の想像だが、難しいと思う。
アメリカだって多民族国家である。人口が3億といっても、本土だけでも3つの時差があるほど広大な国土に異なる民族をかかえている。あるひとつの楽曲を全米に浸透させるのは容易ではない。
しかし日本では、ある意味、それが可能なんである。
1億人単位でそんなことができる国は、たしかにほかにはない気がする。


さて、そんなことが背景にあってそのレコードメーカーでは、日本市場を狙うべく、ドメスティックなアーティストをデビューさせることになった。
今後は欧米の有名どころのシンガーがJ-POPナンバーをカバーしたもの(すでにけっこうたくさん出回ってますわな、そういうの)をリリースしていく計画もあるという。


すでにレイ・チャールズが歌う「Ellie My Love」や、パティ・オースチンが歌う「Red Sweet Pea」を聞いてしまっている私たちである。
もう、さして驚くこともない。
80年代初頭、左ハンドルをつけた日本車がつぎつぎと太平洋を越えていったように、今度はJ-Popを歌うシンガーの声がたくさん流れこんでくるのである。
飯田久彦が「あのこはルイジアナママ」と歌っていた時代を思うと、昔日の感ありといったところだろう。


ただ、そんなことをされてもちっとも嬉しくない。
市場規模を見込んで、欧米のポップスターに歩み寄ってくるような真似をされてもこちらとしては困惑するだけである。
どこか遠くに石畳の「悲しき街角」があって、女の面影を探す男がトレンチコートの衿を立てて「ワーワーワーワーワンダー」と口ずさんでいる、そんな想像をしているほうが愉しい。
きっとこういうのを、辺境根性というのだろうな。


あ、でも欧米のポップスターは別に日本語で歌ってくれるわけじゃないからな。
どっちかというと植民地経営に乗り出してこられる、ってほうが近いのか。
だったらやっぱりパルチザンだ。どっちにしたって辺境根性丸出しだ。