●read goes on.


1Q84』、ほぼ2章ずつ、ゆっくりと読行中。
まだまだほんの序の序の口。


しっかしこれは、破格に面白い。
『世界の終り−−』並みに引き込まれている自分を感じる。
(『ダンス・ダンス−−』も滑り出しは、鼠三部作の次ということもあってジェットコースター並みに持ってかれた記憶があるけれど、あの話はハワイ行きのあとあたりからやや失速した感が拭えないので)


それにしても、いま、このスリリングでメロウな時間を体験しているひとが日本中に何万、何十万人もいるのかと思うと不思議な気がする。
普通に消費されていくだけのベストセラーだったらこういう感興は覚えない(そもそも読まないし)。
そうではなく、村上春樹の新作を貪るように読むときの感覚は、1954年にラジオで初めてエルヴィスを聴いたメンフィスの人たちみたいな感じというのが(想像で思うだけだけれど)いちばん近いのではないか。
これが単なる消費財でないということを、薄々感じているのである。
もっと自分の存在理由に深いところで関わってくる何かだということを感じているのである。


   *  *  *


いくつかの信頼すべき評者のブログには、すでに「読了」の文字が見えたりする。
そこにはまだアクセスせずにおきたい。


その序の序の口の段階で思うことをひとつだけ挙げるとすると、『1Q84』は、一章、一章のテンションがとても高いということがいえると思う。
もちろん、先を急ぎたい気持ちはある。
だが一方で、1、2章を読むだけでも相当の満足を得られるのである。心地よい疲労を覚えるというか。
だから、匍匐前進が可能なのだ。
「この数歩の余韻」を、しばし味わっていたいという感覚。
そんなものが得られることって、そうはない。


端的に例を探すなら、各章の「とめ」の部分だろうか。
締めの文がどれもいいのである。
うー、しびれる、ってやつですな。
「×××××××で×××××しかない」とかね。
ほんと格好良すぎる。




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