●グッバイ・ジョーズ


山田辰夫が亡くなった。


裏街の天使。アヒル声のちんぴら。
追悼の言葉を語るほど、山田さんの仕事をよく観ていたわけではない。
ただしかし私にとって、山田辰夫趙方豪内藤剛志という3つの名前は、なんといわれようと主役級の役者たちである。


それぞれの主演作の公開年……
山田辰夫の『狂い咲きサンダーロード』が1980年。
趙方豪の『ガキ帝国』が1981年。
内藤剛志の『九月の冗談クラブバンド』が1982年。
日本映画に、次々と若い才能が現れてきた時期だった。


80年から82年というのは私にとっては中学2年から高校1年にあたる頃でもあって、こうやってタイトルを並べてみるだけで、プレイガイドジャーナル*1の誌面が浮かんでくるようでもある。
この70年代末から80年代の前半(まさしく1984年くらい)までは、音楽の世界におけるパンク/ニューウェイヴの一瞬のスパークに似たものが、ユースカルチャー全体にも生じていた。
70年代の倦怠を引きずっていたから、なんとなく物憂げな印象かもしれないけれど、相当に刺激的なものが世の中に出てきていたのだと思う。
以前、別のところにも書いたことだけれど、ビートたけし村上春樹中島らもといった人たちが表舞台に出てきたのもこの時期。
そこには、なにがしかの意味が伏流していると思う。


それはさておき、上に挙げた3人は、のちには揃って“名バイプレイヤー”などと呼ばれるようになる。
いまとなっては−−特に、内藤剛志が“風車の弥七”を襲名した現在となっては−−共通するところを見出しにくいかもしれないが、生まれ年も近かった。
気になって調べてみたら、山田が56年1月、趙が56年11月、内藤が55年の5月だった。
(12年前、趙方豪が他界したときの年齢が、41歳だったという事実にもつきあたって、思わず粛然となった)
沢田研二('48年生まれ)や、松田優作や金子正次('49年生)、萩原健一('50年生)、水谷豊('52年)らとは、すこし年少の世代。
音楽界でいうなら佐野元春桑田佳祐ら(ともに'56年生)と同世代にあたる。


人気者になりたいとかスターになりたいというような動機より先に、音楽や映画や芝居がとにかく好きで、こういう世界に足を踏み入れてきた世代という印象もある。
そう、若い二枚目のスターやアイドルばかりが主役を張るのが映画ではない。
そういうことを、この時期のニッポンの映画は、ひいてはこの3人は、身をもって知らせてくれた。


一般には吉川晃司のデビュー作として知られている『すかんぴんウォーク』('84)。
丸山昇一のセリフ回しが逐一しびれる、青春映画の名篇だが、この作品はいまに至るもDVD化されていない。
関係した方々のいろんな思いや事情があるのかもしれないが、なんとか皆が観られるようにできないものだろうか。


ロックスターを夢見て上京してきた男、「貝塚吉夫」役を演じている山田辰夫がとてもいいのだ。
シンガーどころか、なにひとつ輝けるようなものにはなれやしない、そう悟った貝塚吉夫が、“ジョーズ貝塚”に変貌を遂げるあのくだり。
そこらのなんちゃってHip-Hop兄ちゃんよか、よっぽどイルで、カッコいいんだぜ。
ほんとだぜ。


主役を張る山田辰夫を、もう一度観たかった。

*1:東京の「ぴあ」に先んじること1年、1971年7月に創刊された、関西の情報誌の草分け。