●ともだち?


「みんなの党」にみんな困った? 選管困惑、専門家は「インパクトある」


「政策は、友愛社会の建設」民主・鳩山氏会見の要旨


みんなの党」とか、「友愛」を説く党首とか。
なんだか世の中が『20世紀少年』化していってるような気がしないでもない。
映画の「最終章」の公開が8/29で、衆院選の投票日が8/30。
公開に向けてのパブリシティか?


という前振りはともかく。
それにしても、「みんなの党」という党名はなんなんだろう。
この、「何も言ってないに等しい」的なそらぞらしい感じ。


参考までに、世界にはどんな名前の政党があるのか検索してみた。


世界の政党
(一覧するには、このサイトがわかりやすかった)


やはり政治理念を冠したり、特定の宗派名を名乗る党名が圧倒的に多いのだが、「国民党(Natinal Party)」といったネーミングも散見される。
思うに、「同じ一国の民」という意味合いを目指しながら、語感を現代風に和らげようとした結果が「みんなの」という名称なのではなかろうか。


この傾向は、韓国にも見てとれる。
盧武鉉政権期に存在していたウリ党ヨルリン・ウリ党)。
「ウリ」は「私たちの」、「ヨルリン・ウリ」は「開かれた私たちの」という意味。
その対立軸であるハンナラ党民主自由党の流れを汲みつつ、総合民主党と合同して成立)の「ハンナラ」も「大いなる国」「ひとつの国」という意味だ。
どちらも、党名自体は似たようなものである。
ひとつの政治理念のもとに国民を引っ張ろうというよりは、(実態はともかく)全体の合同のほうを優先するイメージを採用している。


日本も似たようなものなのだろう。
政治理念において、さして違いのなさそうな二党が覇権を競っている。


目下のところ、民主党が「友愛」を掲げ「変化」を唱えているのに対し、自民党が掲げているのは「政権運営能力」である。
民主の言い分に現実感がないというのは簡単だが、しかし事の順序としては、まず、自民のマネジメント能力に疑念が生じたことの方が先なのである。
だから民主党のつけいる隙が出来た。
党ばかりではない。
自治体の首長たちも、その自民政権の失点に乗じて、少しでも地方が権益を分捕るべきだと声を上げているのである。


こうなると、いくら自民勢力が「自分たちの方が運営能力がある」と主張しても効果は薄い。
「みんな」とも助け合わず、「友愛」に頼らずとも、「あなたの生活は我が党が守るから大丈夫」というような−−やや国家社会主義めいた−−主張を本気で言明して実行に移すのでなければ、説得力を持たないだろう。
そうでないなら(そうでないことを望む。ファシズムに傾斜するのは御免だ)、これはもう相手の失策を待つしかない。


要は一度、民主党に政権を取らせてみるほかないということである。
潮目の読める人ほどそう考えているのではないか。


その上で、難題山積みの経済、外交、厚生といった各方面で失敗する民主党政権を衆目に晒し、「ほれ、ごらんなさい。そんなんじゃ無理なんだってば。ハイ、どいてどいて」といって玉座から押しやる。
自民の生存戦略としては、それが濃厚な線だと思う。


だから気の利いた代議士の方々は、コトが収まったあとで「そら見たことか」といえるポジション取りをしつつ、なんとか議席だけは確保できるような動きをしている(推測だけど)。


……と、ここまで書いて、溜め息が出た。


「“みんなの党”って、その党名はどうなんだ? 党名に意味を持たせたりしたくないっていうなら、もっとナンセンス方面に振ってほしいもんだ。いっそミンダナオ党とか、オリゴ麦芽党とか、ピサの社党とか、常夜党とか、エンヤートッ党とか……」てなこといって揶揄したかっただけなのに、うっかり「政局を読む」みたいなことをしているオレ。
それも「結局どいつもこいつも相手の失点待ちかよ」という見通ししかできない。
しかもその見通しでまんざら間違ってないだろうな、と思えるところ。
それがなによりの溜め息の源泉。
ニッポンと、オノレの志の低さが哀しい。


とりあえずワタナベさん、今回は「民友党」にしとけば友民党と間違われていいセン行ったかもしれなかったのに症候群。
ああ、なんてオチ。