●56年目の東京物語と64年目のにっぽんの物語


茶屋町タワーレコードで『東京物語』のDVDを買う。


尾道についてのコラムを書くという仕事が来たので、その参考にという名目。
ほんとうは、気が騒いだのである。


血の気の多いだけがウリの若い頃にはちっとも魅力の分からなかった小津安二郎の世界に、四十を過ぎたいま惹かれているということもある。
笠智衆が、この映画のとき、まだ四十代だったということを知って驚いたということもある。


溜まった新聞を切り抜いていて、先週の土曜版(8/1付)にこんな記事を見つけた、という偶然も重なった。
〈うたの旅人〉原節子の「ずるいんです」の意味「夕の鐘」
そう、八月ということもある。


尾道と小津が呼んでいるぜ、勝手にそういう気になったのである(この辺の思慮の浅さは若い頃と変わらない)。


昔、中学の頃に、教育テレビでやっているのを観た覚えがあったが、ほとんど記憶に残っていない。
小学四年で観た『砂の器』は克明に覚えているのだが。
やはり社会派じみた子供だったのかもしれない。


果たして厄年も超えてから観る『東京物語』は、強烈に迫ってくるもののある映画だった。


笠智衆東山千栄子の科白の間合いも今ならしっくりくる。


原節子の尋常でない美しさには吸い込まれる。
品のある笑顔を浮かべながら、ときにみせる憂い。
こういうものも、高度成長で失ったもののひとつだろうかと思うと詮ない。


山村聡杉村春子ら、長兄長姉ふたりが生活を優先する姿勢にはどきりとさせられる(当然思い当たるふしがあるからである)。
三男大坂志郎、二女香川京子の純な態度にはうなだれるほかない。
昔なじみの東野英治郎、十朱久雄らと笠智衆が通飲する場面で聞く、子供たちへの感情は耳の痛いことこのうえない。


56年前の話だろうが関係なく、我と我が身を言い当てられているような気になる。
透徹した眼というものは半世紀やそこらの時間は見通してしまうのだろうな。


気がつけば後半、ふたたび尾道の場面(尾道のシーンが占めるのは、全体の3割ほどである)。
山を背負い、海を臨む町を鉄道が走り抜けてゆく。
たしかに、昭和生まれ、昭和育ちの原風景が詰まったこの町は、東京と対比して置かれるだけの存在感を放っていた。
その狭さ、小ささも含めて。あるいはそれゆえに。


   *  *  *


上に引いた朝日の記事、ウェブ上では冒頭の導入部しか読めないので残念だが、機会があれば全文を読んでいただきたい。
原節子のくだんの科白の意味を、山田太一が読み解くくだりが最後のパラグラフにある。


そうなのだ。
東京物語』は、核家族化が進行する未来を言い当てていたから優れているわけではない。
あからさまではないけれど、それ以前に起きたこと−−過去を、つまりは戦争の記憶を、たしかに刻印しているのである。


東京物語 [DVD]