●2009年の夏の陣


昨日は映画の日
もう一度、『サマーウォーズ』を観に行った。


ロードショーやってるうちに二度観たという映画は久しくなかったなあ。
前はなんだったっけ? 思い出せない。
まあ、昔は一日中映画館に居て、3,4回繰り返して観るなんてことも多かったから単純に比較はできない。


それはそうと、『サマーウォーズ』。
身近なひとに薦めたいのだけれど、できれば予備知識ゼロで観てもらいたいなあと思う。
その方が確実に愉しめるだろうから。


ということで観に行ってください、皆さん。


おしまい。





















……あのー、アニメーションはどうもなぁとか思ってる方々。
そう思うのも仕方ないのかもしれないけど、そんな理由でスルーするのはいかにも勿体ない。
それくらい傑作。
あの青空と入道雲は、この夏屈指の眺め。朝顔も。
観た方がいいです。ほんとに。























……と、つましく述べつつ、もとい。
ここから先は、個人的なメモみたいなもんですが、いくらか内容に触れるかも。




  *  *  *




サマーウォーズ』、最初に観たときは、あれよあれよという展開の意外さに引き込まれた。
口開けてるあいだに、気がつくとエンディングまで連れて来られてた、みたいな。
予想をはるかに超えて「ええもん観たなあ」感に浸された。


しかし、2度目は2度目で、さらによかった。


この映画の魅力のひとつが、ハイブリッドにあるのは間違いないと思う。
ハイブリッド、異種接合。


人物を正面から捉えるアングルの多用は小津安二郎を想起させるが、活劇の場面になると黒澤明の趣きがある(「七人の侍」が言及される場面もある)。躍動感は宮崎駿ゆずりか。
さまざまな映画から滋養を得たと見受けられる細田守という演出家が、まずハイブリッド。


なにより作品の内容に即していえば、田舎の旧家の世界と、アバターが活動するヴァーチャルなネットワールドの接ぎ木になっているところ。
日常とファンタジーを巧みに交叉させるその構成が、とにかく見事なのである。


「宝島」「アリス」「ハリポタ」などなど、「日常から出発しつつも向こう側に一度行ってしまったら最後まで戻って来られない」のが欧米のファンタジーの主流。
としたら、「おむすびころりん」から「ドラえもん」「トトロ」「時をかける少女」、「電脳コイル」に至るまで「こちら側とあちら側を何度も往還する」のがニッポンのやり方。
サマーウォーズ』もその流儀には忠実である。
この作法にのっとって−−ファンタジックな世界と対比することで−−生活者である我々が普段気づかないリアルワールドの美を描き出すことに成功している。


しかも本作の登場人物たちは、ヴァーチャルな世界から魔術的な力を抽き出すわけではない。
そこがいい。
原資となるのはどれも日常の世界で得たものばかりである。
数学的才能、曾祖母の愛情と教え、花札の技倆……。
これらを武器にたたかうのである。


いってみれば、「日々の繋がりが大事」ってことではあるんだろう。
けれど、こういう野暮な文章や宣伝コピーにするとそんな風にしかいえないことを、2時間の物語にしてみせてくれる、それがなによりいいんだと思う(すぐれた映画は、どれだってそうだけど)。
七人の侍』だって、最後の志村喬のセリフ「あの百姓たちが勝ったのだ」で全部が括れるような話だったらそんなつまんないことないわけで。
侍たちひとりひとりが活き活きと息づいているから面白いわけじゃないか。
サマーウォーズ』も決して「大家族は素晴らしい」というような礼賛話ではないと思う。
共同体という制度がすごいのではなく、共同体をメンテナンスしている人がすごいのだ。
そういう風に描いてある映画だと思う。


田舎の古い屋敷というのが、すでに充分ファンタジックな世界じゃないかという指摘はあるだろう。
たしかにそうかもしれない。
だがそれは、かつて存在したが、我々が踏みにじり、捨ててきた世界である。
ただひたすら経済原理と個人の自由を追いかけたがあまり、後ろに投げ捨てて、あとは顧みることのなかった世界である。
あの屋敷の世界を「自分とは無縁な場所」と言ってしまうのは、ネガティブな意味であってもポジティブな意味であっても、私にはできそうもない。
あれを単なるファンタジーだノスタルジーだと切り捨てられる人は、時間軸を持たない人−−無時間モデルに暮らす人なのだろう。そういう人はあまり成長しない気がする。
カネで買えないものはないと豪語してた成金の人とか、カネの再分配にばかりご執心の自治体首長とか、ずっと子供みたいな顔してる。リアルワールドにしか関心がないから奥行きがない。
ワイドショーを見るとげんなりするのはひとえにそういう理由。ずっとカネカネ言ってな。


……て、こんな下らない話に持っていくつもりはなかったんだ。


サマーウォーズ』は少年の話でもある。
接ぎ木された3つの世界を生きて、ダメ少年(たち)が強くなる。
それを見るのが俺は好きだ。


最後に、「サマーウォーズ」というタイトルについて一考。
おそらく日本語では「夏の陣」と訳したほうが良いような気がするのだけれど、それにしてもこの素っ気ない題名はどういうことなんだろう。
「晩春」とか「麦秋」とか「早春」とか、そんなタイトルばかりつけてた小津の感じもある。
けど、「サマーウォーズ」と英語にしてあるのをみると、「セブンサムライ」みたいな気もしてくるし。
どんな話か見当つかない、そこを狙ったのかもしれない。
予断を持たせたくないってことはあるんじゃないかな。


なので、予断を持たずに観るに限るです。
もう遅い?