●MUSIC have the power?
地震発生から2週目の放送についての記録。
2011年3月22日 深夜1:00〜4:00
FM802「NIGHT RAMBLER Tuesday」
# | song title | artist | remark |
01 | STROBOLIGHTS | SUPERCAR | |
02 | 家 | HiGE | |
03 | Love at the First Sight | Kylie Minogue | |
04 | Energy | The Apples in Stereo | |
05 | I see the Light | Mandy Moore & Zachary Levi Pugh | 映画『塔の上のラプンツェル』紹介 |
06 | 陽の照りながら雨の降る | Cocco | |
07 | Hyper-Ballad | Björk | LIVE from "Tibetan Freedom Concert 1996" |
08 | 旅に出よう | LOVE LOVE LOVE | |
09 | 眠りにつく、その前に | セカイイチ | |
10 | The Scientist | COLDPLAY | 『A Rush of Blood to the Head/静寂の世界』特集 |
11 | Clocks | COLDPLAY | 同上 |
12 | Warning Sign | COLDPLAY | 同上 |
13 | 2月/february | blood thirsty butchers | |
14 | 三月 | DOES | |
15 | 四月の風 | エレファントカシマシ | |
16 | キズナソング | THE BACK HORN | |
17 | Kill for a Dream | Beady Eye | |
18 | We Can Work It Out | Stevie Wonder | オリジナル:The Beatles |
19 | 未来の破片 | ASIAN KUNG-FU GENERATION | |
20 | 砂の上 | 後藤正文 | |
21 | a life | 大貫妙子&坂本龍一 | |
22 | Yesterday I Had the Blues | Harold Melvin & The Blue Notes | |
23 | Move Along | All-American Rejects | |
24 | トンネルぬけて | BO GUMBOS | |
25 | 公平なWorld | アナログフィッシュ | |
26 | センチメンタル・ジャーニー | YUKI | |
27 | 夜明けの歌 | ビューティフル・ハミングバード | オリジナル:eastern youth |
28 | ただいま | 星野源 |
映画紹介やアルバム特集は、レギュラーのコーナーに即してのものなんだけれど、なんというか、曲リストを見てみても、迷いが交錯しているという印象が漂っている。
難しい。
前線に張りついて現場の状況を伝える報道メディアとはちがって遠隔地の、それも音楽主体のラジオ局という、いわば後衛の媒体が取るべきスタンスとは何なのだろう。
地震から10日経ち、そのあたりのぶれがあらわになってしまったような感じだ。
自分の中で、異なる捉え方をひとつに統合できない。
ごく簡単にいえば、「まだ」と「もう」のどちらを採用すべきか分からない。
まだいまは魂を鎮めるときだろうという気がする。
一方で、もう動き出さないと復興も遅れるばかりなのではないかという懸念もある。
震源から、被災地から、離れれば離れるほど、我々みたいな立場の者は観念的になってしまう傾向がある。
実感を伴わないから。
判断する基準とまではいかないまでも、考えるとっかかり、「よすが」みたいなものがないから。
16年前の冬、神戸で地震が起きたときは、七日目から東灘の小学校で手伝いをしていた。
その頃は、東京でバイク便をして暮らしていたのだけれど、たまたまそういう巡り合わせになったのである。
けれど、その避難所の手伝いを始めて1週間が経とうとする頃、バイク便会社の配車担当の人間から「もうそろそろ東京に帰って勤務に戻らないとクビだ」と宣告された。
地震の発生から、まだ2週間という時期に、だ。
仮設住宅の建設もまだろくに始まっていなかった。
避難所には足りないものばかりだった。
それでも、私は「もうそろそろ」と促されるままに自分の日常に戻るしかなかった。
まあ、無理もない。
それが、阪神淡路大震災のときの東京の温度だったということだ。
だが今度もまた、その温度に準ずるべきなのかどうか。
* * *
この2週目の放送で失敗したのは、「着地のことばかり考えていたから」だと思う。
「以前までの、ふつうの放送に、そろそろ戻さなきゃ」ってことにばかり頭が行っていた。
ふつう、と我々はいとも簡単に口にするけれど、ふつうってなんだろう、ふつうって一体なんだったんだろう。
いっそそこから問い直されているかもしれないのにな。
まったく、問いが浅かった。
というのも、「こういうとき、音楽になにかできることが、ほんとにあるんだろうか」という問いはーー創作者が直に感じるほどではないにせよーー流通業者である我々にも、ある程度、共通している命題だからだ。
まあ、放送媒体に関わる人間にもいろんな立場があるから、立脚点はそれぞれ異なる。
それでも、せめて現場で番組を作っている人間は、ふところにその問いを忍ばせていないとどうしようもないのではないか。
個人的にそう思う。
「音楽に力がある」かどうか、正直なところ、私には分からない。
だが私は答えを必要としているのではない。
要るのは問いなのだ。
「音楽には力があるか?」
おそらく、その問いをつづけることが必要なのだ。